チョウザメの春浮袋とり替へねば (『無方』より) 津田 清子
松王かをり
津田清子の代表句ではないが、春が近づくと、なぜか口ずさみたくなる一句である。そして、この句と同時に、「俳句は口から出まかせ」という口癖も思い出されるのである。
わたしの俳句の最初の師であった津田清子は、大正9(1920)年に奈良に生まれ、平成27(2015)年、満94歳で亡くなった。橋本多佳子に、そして同時に山口誓子に師事し、亡くなるまで俳句に向き合い続けた一生だった。
掲句は、清子の最後の句集である『無方』(1999・10、編集工房ノア)からの一句である。第六句集である『無方』は、清子73歳のときに旅をした、アフリカのナミブ砂漠を詠んだ47句から始まっている。
はじめに神砂漠を創り私す
無方無時無距離砂漠の夜が明けて
自らを墓標となせり砂漠の木
などの砂漠詠は、そのほとんどが無季である。「砂漠」自体が、季節を拒むかのような存在であることを考えてみると、なるほど、砂漠の本意は「無季」ということになる。真っ正面から砂漠と対峙したからこその無季だといえるだろう。スケールの大きさといい、砂漠に向き合って動じない詠みぶりといい、俳句の可能性を大いに広げた一連の句を含むこの『無方』で、平成12年、第34回蛇笏賞を受賞した。清子80歳の年である。
さて掲句は、砂漠詠に続く「旅の符」の、「海辺」と前書きのある一連の句の中の一句である。この句の前後にウミウシや海鼠、蟹の句が並んでいることから、どこかの海岸に出かけて詠んだ吟行句、ただし、チョウザメは日本には生息しておらず養殖だけのようなので、養殖場、あるいは水族館での句かと思っていたところ、どうやらそうではないらしいのである。
『女性俳句の世界』(2008・4、角川学芸出版)で、正木ゆう子氏が「ナミブ砂漠の罔象女」というタイトルで津田清子について書いている。その中でこのチョウザメの句が取り上げられていて、次のような記述がある。
どこからこんな発想が出てくるのか、対談の折に質問したところ、作者は「それこそ、口から出まかせ。チョウザメのチョウと蝶々のチョウを私が勝手にくっつけましてね。全然関係ないんです」と答えた。さらに私が「浮袋とり替へねば」について尋ねると、「浮き浮きしたいでしょう。だけど、浮袋が古かったらできない」と答えたものである。
どうやら実際にチョウザメを見ての句ではないらしい。海辺で蝶々に出会って、そこからの発想なのかもしれない。そして、その作句過程を屈託なくそのまま口にする、その大らかさ、天衣無縫さが実に清子らしいと思うのである。
ところで、正木氏の文章にも出て来る「口から出まかせ」という言葉、私も清子から直接聞いたことがある。たしか朝日カルチャーセンターの俳句教室からの帰り、ちょっとお茶でも飲んでいきましょうということになり、先生と歩いていたときだったと思う。俳句を始めたばかりのわたしに、「あのね、俳句は口から出まかせがいいの」と言って示された俳句が、第一句集にある「刹那刹那に生く焚火には両手出し」であった。この句のどこが口から出まかせなのか全くわからなかった。
今もまだ、「口から出まかせ」はよくわからない。けれど、「観念的な句はよくない」「平凡からひとつはずれたところに俳句がある」「見て感じたこと、思ったこと、その心の形を俳句にすべき」「みんなにわかってもらおうと思って作るから根の浅い俳句になる。もっとやけくその俳句を作る勇気をもとう」などという俳句観を凝縮したら、「俳句は口から出まかせ」ということになるのではないかと、俳句を初めて20年も経って、ようやくそのあたりの理解に至ったのである。
私は、2006年に奈良から札幌に移り住んだ。文化、風土の違いに驚くことがいろいろあった中で、春を迎える嬉しさというものを、心の底から実感したこともそのひとつである。雪に閉ざされていた数ヶ月の閉塞感、それゆえに、春を迎える浮き立つような喜びには格別なものがある。
わたしにもし浮袋があるなら、新しい浮袋にとり変えて、浮き浮き春を泳ぎたい。この春も、気づけばこの句を口ずさんでいるのである。これがまさに「口から出まかせ句」の持つ力なのかもしれない。
《主な参考文献》
津田清子『無方』(1999・10、編集工房ノア)
津田清子『津田清子俳句集』(2000・11、本阿弥書店)
『女性俳句の世界』第4巻(2008・4、角川学芸出版)