渡邊白泉の終戦の句 一句
武馬久仁裕
玉音を理解せし者前に出よ 白泉 (昭和20年)
この時、上官を前にして兵たちは横一列に並んで、昭和20年8月15日の玉音放送(天皇が終戦の詔書を読み上げた放送)を聞きました。上の俳句は、玉音放送を聞いたあと、兵たちに対して発せられた上官の命令(言葉)を借りた形の句です。(以下、白泉の句は、朝日文庫版(注1)によりました)
普通なら上官の命令(言葉)は、
玉音を理解せぬ者前に出よ
となるはずです。当然理解しているはずのことを理解していない兵への懲罰を前提にした命令(言葉)です。ところが、意外にも上官の命令(言葉)は、
玉音を理解せし者前に出よ
でした。これは、その場にいなかった現代の読者ですら、おかしな感じに響きます。それは、「玉音を理解せ」の後で、言葉が捻られているからです。
玉音を理解せ/し者前に出よ
↑
ここで言葉が捻られている
本来の散文では、ふつうは「理解せ」のあとは「ぬもの前に出よ」と続くはずですが、ここでは「し者前に出よ」となっているのです。この言葉の捻りによって、日常世界から非日常の世界への転換がなされ、この句は文学としての俳句になりました。
読者は、このおかしな感じのする命令(言葉)の存在する世界に引き込まれます。では、この捻りによってもたらされたおかしな感じは、一体どこからきているのでしょう。
ある読者は、これを、上官が、玉音が漢文調で難しく理解できなかったので、うろたえて出した命令だと解しました。「上官とはこんな程度だったのだと、作者が揶揄しているのだ」と。
しかし、果たして、そうでしょうか。
神田秀夫は、『渡邊白泉集』の序文「白泉の噴出」で述べています。
列から一歩「前に出」るのは、ほめられる時も叱られる時もあるが、ここは「前に出よ」といっては教育してきた下士官に対する作者の精いっぱいの皮肉であろう。百八十度回転した天皇の意志を、なんと見る。我に返った白泉の個人的感懐が又、おもしろい。(注2)
と。そのあと、神田は白泉の終戦の句「新しき猿又ほしや百日紅」を挙げるのですが、「猿又」の句については、あとで述べることにして、ここでは、注目すべき「百八十度回転した天皇の意志を、なんと見る。」という神田の言葉について考えてみます。すでに読まれたように、「百八十度回転した天皇の意志を、なんと見る。」を文脈上どのように読むか、神田の文章からは明確には読み取れません、しかし、この神田の言葉が、この句を深く読み味わうヒントになります。
「玉音を理解せし者前に出よ」という句から、この上官の心の内に分け入ってみましょう。次のようになります。(「宣戦の詔書」と「終戦の詔書」は、ここでは拙訳を載せます。)
天皇陛下は、宣戦の詔書で、
「遠く天皇の祖先、歴代の天皇の御霊が天上から見守っている。私は、そのご加護とお前たち人民の忠義と武勇を信じ、祖先の偉業を押し広め、いち早く邪魔な物を取り除いて、東アジアに永遠の平和を確立し、それによって大日本帝国の栄光を保つことを固く約束する。」(注3)
と言われたのではなかったのか!? それなのに何をいまさら
「私は時の成り行きでこうなった以上、我慢できないことを幾重にも我慢し、将来の発展の
ために降伏しようと思う。」(注4)
といわれるのか、私にはとうてい理解できない。
上官の「玉音を理解せし者前に出よ」の真意はここにあったように思われます。神田もおそらく、このことを示唆しようとしたのでしょう。
この句には、「天皇への信頼と宣戦の詔書の示すこと」と「終戦の詔書のいうこと」との齟齬・矛盾によって崩壊してしまった自分自身の考え方の枠組みのあり方について、自ら考え・反省することのない人間が描かれています。そして、挙句の果てに日頃懲罰の対象であった兵に対して、崩壊してしまった自らの考え方の枠組みの再保証を何でもよいから求めようとしているのです。しかも、無理矢理命令として。何たる無責任!! 白泉は、この人間の無責任さを撃ち、嘲笑しました。
一応、「玉音を理解せし者前に出よ」の句を読み切ったのですが、ここで、この句の最後の問題に移ります。そうです。上官は命令ではありますが、問うているのです。
玉音を理解せし者前に出よ
と。兵は答えねばなりません。いや、兵としてではなく、日本人として、人間として、どのように理解したかを答えねばなりません。横一列に並ぶ中から一歩前に出て。
白泉は、死の直前(昭和44年1月29日)まで作っていた自筆『白泉句集』に、「終戦」と題して、
新しき猿又ほしや百日紅 白泉 (昭和20年)
を載せています。この句の4句前に置かれたのが、「玉音を理解せし者前に出よ」であり、神田のいうように、大日本帝国の呪縛から目が覚めたかのような句です。
ここには、聖戦から解放された俗=日常生活(猿又の世界)の全面的肯定が、「あたらしきさるまたほしやさるすべり」と、晴れ晴れと軽快にユーモアを交え詠われています。そして、この世界では、作者の「新しき猿又ほしや」の言葉を、百日咲き続けるという百日紅の花が紅く美しく力強く言祝いでいるのです。これが、「終戦」と題した一句をもって白泉の出した一つの答えでした。白泉が出したもう一つ答えについては、稿を改めてお話ししたいと思います。
注
(注1)『富澤赤黄男・高屋窓秋・渡邊白泉集』(朝日文庫、1985年)所収『白泉句集』によりました。
(注2)『富澤赤黄男・高屋窓秋・渡邊白泉集』(朝日文庫、1985年)所収「渡邊白泉集」序文。
(注3)皇祖皇宗の神靈上に在り 朕は汝有衆の忠誠勇武に信倚し祖宗の遺業を恢弘し速に禍根を芟除して東亜永遠
の平和を確立し以て帝国の光栄を保全せんことを期す(開戦・終戦、ともに新字新かな、ひらがなにしました。)
(注4)朕は時運の趨く所堪え難きを堪え忍び難きを忍びもって万世のために太平を開かんと欲す