2021年新年特別企画<新春俳句&漢俳大会抜粋>(下)
王小燕
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●王小燕 俳句&漢俳を介しての中日の文化交流をめぐり、引き続き中日友好協会理事で、中国漢俳学会会長の劉徳有先生、日本語月刊誌「人民中国」の王衆一編集長にお話を伺います。今回は主として、お二人の目に写った異文化交流のあるべき姿、そして、古典詩歌の影響を強く受けて誕生した「漢俳」の中国での広がり、また漢俳が新時代の中日文化交流にもたらす新たな可能性をめぐりお伝えしてまいります。
●王小燕:2020年を振り返ると、新型コロナが全人類に大きな影響を及ぼす事態となりました。そうした中で、2月初めに『人民中国』のWechat公式アカウントが2弾にわたって「俳山句海」と題しての俳句・漢俳企画を行いました。一致団結してコロナと戦うことに寄せた思いをめぐり、たくさんの方たちの句が掲載されました。それらの句から大きな力を感じ取りました。王編集長は、どのようなきっかけでこの企画を始めようと思ったのですか。
●王衆一:去年の春、猛威を振る舞っていたコロナ感染症と戦う中国の皆さんに、日本の方々から漢詩の句をつけた箱に入れたマスクを届けたニュース写真を見て、心温まる思いを感じました。そこからヒントを受けて、「それなら、人民中国のウィーチャット公式アカウントで、俳句と漢俳の形で、日本の皆さんの善意に応えて、手を携えて頑張るではないか」とこの企画をしたわけです。これを刘德有先生に話したら、大賛成で、自ら俳句を投稿してくれました。私はそれを漢俳風に訳して一緒に打ち出したら、たくさんの投稿が寄せられてきました。
●王小燕:劉先生と王編集長はこのシリーズ企画では、名コンビとして知られています。劉先生の書いた俳句に、王さんが中国語で575に訳す、この作業がここ数年ずっと続いているようです。たとえば、「奮い立て頑張れ武漢破魔矢あり」という劉先生の俳句に対して、王編集長は「奋起拚一战,破魔神矢除魔剑,加油大武汉!」と漢字17文字で訳されています。それぞれ味わいがあり、印象に残っています。
●王衆一:劉先生は漢俳の大先輩で、生みの親の一人でもあります。私から見れば、漢俳は文化交流の中で中日両国が学び合って、中国人なりの創意工夫の上で生まれたものです。
中国語で再現した俳句よりも、俳句の要素を借りて、中国の古典詩歌の風土の中で生まれた一種のミニサイズの漢詩で、刘先生の前で冗談を言っては失礼ですが、私はむしろ“微詞”と呼びたいです。
●王小燕:前回の話題の続きですが、劉先生は俳句と漢俳の最たる違いは「季語」の扱い方に出ており、そのきめ細やかな感受性は、必ずしも中国の読者にきちんと理解されないかもしれないと話しました。しかし、それと同時に、俳句や漢俳は相手の言語に翻訳され、紹介しあうことは、中日の文化交流にとって重要な意義があるとも指摘されています。文化交流の意義は、相手のことを知り、自身のことを知ることにあり、また、そのことが互いに触発を受けるということでもあるようですね。
●劉徳有:そうですね。これと関連して、もう2つ例をあげたいと思います。
まずは蕪村の名句、「易水(えきすい)にねぶか流るる寒さかな」です。これは漢詩文の教養を背景とした空想上の作であると思われます。出典の『史記』によれば、秦の国の圧迫を受けた燕国の太子丹は、始皇帝を刺すため壮士荊軻を派遣しますが、荊軻は易水のほとりより旅立つにあたり、「風蕭蕭兮易水寒,壮士一去兮不復還(風蕭蕭(しょうしょう)として易水寒し、壮士(そうし)一たび去りてふたたび還(かえ)らず)」と吟じたと伝えられます。
易水は中国の河北省を流れる川で、漢文の教養がある日本人なら、蕪村のこの句を読んで頭に浮かぶ光景は、「風蕭蕭として易水寒し」の詩句によって名高い易水には、今日も冷たい風が吹きすさんでいる。ふと見ると誰か上流で流したらしい葱が、川面に浮きつ沈みつ押し流されている。その葱の青白いつややかさに、ひとしおきびしい寒気を覚えることである――ざっとこんなものではないかと思います。
しかし、中国の読者がこれを読んで日本人のような感じ方をするかどうか疑問です。なぜなら、中国人は日本人のように、“ねぶか”――葱から寒々とした感じを受けないからです。現に詩人の林林先生がこの句について論じたとき、「蕪村は、青い葉に白い根の葱の漂流でもって、易水の寒さを引き立てているが、なかなか理解に苦しむところである」と言っています。
もちろん、中国の北方も冬になりますと、朝市などに新しく取れたネギが山のように積まれ、冬の一景をなしていますが、前のほうでも触れた通り、ネギの白い根から受ける季節感は日本人のように、サムザムとしたものでないため、上流から流れるネギと易水の寒さとの間にどのような内的な関係があるのか、理解が難しいのではないでしょうか。これは、やはり文化の違いからくる難しさだと思います。
●王小燕:葱が川に浮かぶ風景を描くことで寒さを引き立てるというのは、とても新鮮な表現方法のように受け止めています。
●劉徳有:もう一つの例はこちらの句です。
「引っ越しの荷物落ち着き柿若葉(西川みどり)」
「柿若葉」は初夏の季語ですが、日本人ならこの季語から、ほっとさせるような安らぎとやわらかな感じをただちにとらえ、「引っ越しの荷物が落ち着く」ことと 「柿若葉」との間の関係がすぐわかるそうですが、中国人にとってこの句の作者がなぜ「柿若葉」を「引っ越しの荷物落ち着く」に結びつけたのか理解に苦しむところです。また、ある日本人から聞いた話しですが、季語「柿若葉」から連想するのは、人事異動の季節に多くの人が地方へ転勤するため、引越しが多くなるそうだ。生活環境や文化的背景などがちがう中国人にとって、季語のもつ含みを日本人同様に理解することは無理だと思います。
私の考えを纏めると、中国と日本の文化には相違はありますが、それと同時に、相通じるものがあることも事実です。そして、これがまた両国人民の相互理解の増進を大いに可能にしています。文化交流がいかに重要であるかを示唆しているのではないでしょうか。
●王小燕:俳句と漢俳の文化は、ここ数年、静かながらも中国で育ち続けていると言えます。やはり何よりも大事なのは、発表や交流の場の提供だと思います。そういう意味では、「人民中国」誌が本当に重要な役割を果たしたと言えます。中でも、紙面でもSNSのWechatでも掲載されている「節気と花」の企画、たいへん優雅な企画だと思います。
●王衆一:2016年に、二十四節気は世界無形文化遺産リストに登録されました。中国で考案された二十四節気は、同じ東アジア隣国同士の日本、韓国にも共有され、我々東アジアの共通の文化遺産になっております。漢詩の詩人も、日本の俳人も、四季折々の景色や植物に自分の気持ちを託すことが多いです。そこで、二十四節気に関連する俳句を選んで、それを漢詩や漢俳に翻訳する形でコラムを始めたわけです。
「和して同ぜず」といった俳句と漢詩との趣の違いを味わっていただく効果があったせいか、このコラムはたくさんのファンがついてきて、今はすごい規模になっております。このコラムは最初からずっと劉先生の指導を受けてきただけでなく、劉先生が作った俳句もこのコラムの存在感を強めました。
俳句や漢俳の世界は奥が深くて、とても面白いと思います。皆さんも、是非“俳人が謳う二十四節気と花”というコラムに関わってください。皆さんの応援を期待しております。
●王小燕:やはり文化は交流することで、新しい火花が出てくることが、今日、俳句と漢俳を通して、よく分かりました。
●劉徳有:今日中国における俳句の翻訳・紹介は、中日文化交流の発展と両国人民の相互理解の増進にとって、重要な意義があると思います。翻訳者が俳人のこころの世界にできるだけ近づき、両国人民の間に実際に存在する美意識上の差異をなくすよう努力することによって、俳句の中国語訳の形式美を保ち、しかも、その訳がまぎれもなく詩であるならば、この有意義な素晴らしい実践は、中国人の俳句に対する理解を深め、日本人のこころを知るうえで、はたまた俳句の中国訳の推進、漢俳という新しい詩体の発展にとって、有益であることは言うまでもないことです。
●王衆一:私にとって俳句と漢俳の世界を泳ぎ回るのは、お互いの文化や美を楽しむ上で、日本語と中国語の詩的表現を磨き上げることにも一役買っています。つまり言葉の勉強にも繋がります。特に形にこだわらず、弦外の音をどうやって翻訳を通して出せるかという試みを通して、翻訳者としての絶頂感を体験できると思います。また、俳句と漢俳のお互いの交流と刺激という形は、大きく言えば中日の文化交流にも生かせるではないかと思います。
ある日本の全国紙の北京総局の記者は、劉先生の俳句と漢俳を絶賛し、「日中はカンパイできるか」という随筆を書いて、「中国人の場合、日本語を知らなければ俳句を咏めないが、漢字が分かる日本人なら容易に漢俳の世界に入れる。日中両首脑がいつか「カンパイ」するような日が来れば、それもまた一興だ」と期待しています。
https://japanese.cri.cn/20210131/59dc66d2-1d50-dec3-d7d3-eb89d5b0a857.html
2021年新年特別企画<新春俳句&漢俳大会(下)より転載。
王小燕(おう・しょうえん)プロフィール
中国国際放送局日本語放送パーソナリティー、北方工業大学語言文学部日本語科卒業。北京日本学研究センター修士。京都大学で交流留学。早稲田大学アジア太平洋研究科訪問学者。テレビ山梨(UTY)でアナウンス研修。主な翻訳書に『銀河鉄道の夜」など多数。2021年から「聊楽句会」メンバー。
2024年「漢俳と俳句」のWEB版での連載について
董 振華
今年2月に「現代俳句」の長井寛編集長(当時)から、4月より12月まで現代俳句WEB版に「漢俳と俳句」について執筆の依頼があった。私は4月号から9月号まで漢詩、俳句、漢俳三者の関りについて紹介し、残りの3ヶ月は中国にいる中国の方に執筆してもらうことを長井さんと相談して決定。それで10月と11月は中国国際放送に務める王小燕さんに担当してもらった。というのはちょうど2020年は日本俳人訪中交流及び漢俳誕生四十周年であるため、王さんは2021年新春スペシャル記念番組として、漢俳学会の劉徳有会長と日本向けの月刊誌「人民中国」王衆一編集長(当時)との鼎談を企画した。その内容が非常に面白く、漢俳と俳句の交流について実作やエピソードなどを通じて詳しく語り合っている。そしてその鼎談を抜粋して転載したのがWEB版の10月号と11月号。それから12月号の執筆者は鼎談参加者の王衆一さん。お二人はともに私が代表を務める中日交流句会「聊楽句会」のメンバーで、お二人のことについてはそれぞれの掲載文の後に付けてある略歴をご覧いただければ幸いである。