もし飯田蛇笏のあの俳句を映像化するなら

浅山幹也

をりとりてはらりとおもきすすきかな 飯田蛇笏

 この俳句を映像化するならば、主人公を設定しなければならない。蛇笏がこの句を読んだのは45歳。とりあえず脳内映像に45歳の蛇笏にご登場いただいたのだが、どうにもピンと来ない。いや「すすきかな」には45歳を感じる。ただ「をりとりてはらりとおもきすすき」の(i)の音の韻、「を(り)と(り)てはら(り)とおも(き)すす(き)かな」の「り(ri)」から「き(ki)」へ転じる音韻の響きが、どうにも45歳ではない。特に前半の「を(り)と(り)て」の、二拍に一音の(り)。(り)の畳みかけには小学生が思いっきり走ってくる勢いがある。45歳の蛇笏には一旦待機していただき、小学生のやんちゃ盛りの蛇笏を連れてくる。
 勢いよく走ってきた小学生の蛇笏に「をりとりて」。芒を折って取ってもらう。いい感じだ。しかし「はらりとおもき」まで来たとき、やんちゃ盛りの小学生を逸脱した憂いが欲しくなる。「はら(り)とおも(き)」の「り(ri)」から「き(ki)」へ転じたとき、少年は青年になる。
 「き(ki)」の発音は、舌の後部を持ち上げて、口蓋の後ろの方にあて、それを母音「い(i)」で破裂させて出す音だ。一方の「り(ri)」は発音は、舌の先端で口蓋の前の方をはじいて音を出す。はじいた後は母音の「い(i)」に引っ張られて舌の後方が「き(ki)」の発音と同じく舌の後部が持ち上がる。何が言いたいのかというと、舌の動きに着目すると(り)の舌は舌先で口蓋をはじいた後、(き)の動きに近い動きをする。
 (り)から(き)へ舌の動きが少なくなっていく様は、まるで小学生が思春期を迎え青年になり少し落ち着くかのようだ。また「を(り)と(り)て」の、二拍に一音の(り)から、ほぼ三拍に一音の「はら(り)とおも(き)すす(き)」へと少しゆったりしたテンポになるのもポイントが高い。「をりとりて」の後に、蛇笏を少年から青年にするのは妥当感がある。
 最後の「すすきかな」。ここで満を辞して、待機していただいていた45歳蛇笏の登場である。切れ字の中でも特に「かな」が一句の中に現れると、これまで映像的に展開していた言葉が突如、作者の語りになってしまう感じがする。それと相まってだろう「を(り)と(り)てはら(り)とおも(き)すす(き)」と、ずっと響いていた(i)の韻が45歳蛇笏の「かな」の詠嘆に収まっていく。

そのひぐさ

そのひぐさ延命地蔵あるく跡
列車来る吾のこえをかき消すための
蝉茸は育つ死にたくなる夜に
抱えこむ膝の匂いや日の盛
秋光や夜を地底に取り逃がす
鳥渡る空に呑みこまれぬように
秋天を指す中指は自由かな
朝顔の果皮乾きけり九分九厘

略歴
1987年生まれ。大阪在住。映画館で映画をよく観るTBSラジオリスナー。

 

食いしん坊の俳句

佐野瑞季

 「であいもん(出会い物)」という言葉をご存知でしょうか。日本料理において、素材を個々で味わう以上に旨味や香りを引き出し合い、料理が美味しくなる組み合わせのこと。あるいは海の幸と山の幸、田畑の幸とそれぞれ異なる場所で採れた食材を組み合わせて互いの味わいを一層引き立て合うという考えです。
 今の時期なら秋刀魚と酢橘を絞った大根おろしに炊きたてご飯、冬なら鰤大根、他にも若竹煮や鰻と胡瓜の「うざく」、洋風のおつまみでも桃とモッツァレラチーズなどなど、四季の美味しいものを挙げると案外食卓は「であいもん」で満ちていますね。距離感のある食材を合わせたら不思議と美味しい。これは俳句の取り合わせの技法にも通じるものがあるのではないでしょうか。
 ここまで書けば皆さんもお気付きの通り、私は自他共に認める食いしん坊。
 静岡の海の幸、山の幸をもりもり食べて育ち、大学入学をきっかけに京都に移り住んで今年で八年目。そして今年の4月からは、兼題の季語を料理して味わい句座を囲む超結社句会「四季の料理帖」を立ち上げ、月に一度京都で開催しております。
 歳時記には料理の難しさや価格の面で、一人で食べるには少し難しい季語もあります。自身の食い意地を以ってしても、お財布に大ダメージ、キッチンは大惨事となってしまった経験も多々。ならば皆で味わうことでより身近に、実感のある季語として詠めたらいいなという思いから始めた句会です。これも俳句と料理、食い意地の「であいもん」かもしれません。
 この四季の料理帖句会に限ることではありませんが、私の思う俳句と句会の魅力のひとつに、年齢や性別、出身地やライフステージの差を飛び越えて打ち解け合えることがあります。時に生じるギャップも「そんな考えもあるのね!」と新たな価値観として句作や鑑賞に活かすきっかけとなることも。最初は食わず嫌いをしていた考え方も時を経て身に馴染んでくることもしばしば。異なる物同士を取り合わせる、合わなさそうで意外と馴染む、俳句そのものが「であいもん」を生み出す力を内包しているのではないでしょうか。
 とは言え人生経験も浅い自身にとって、俳句も料理も未知の事柄が沢山。それらと出会った時に食わず嫌いを起こさぬよう胃袋を鍛え、そして「であいもん」に昇華できるよう感受性を高めたいと思います。

敬語の緩みゆく頃に

道聞かれ易き案山子の下り眉
龍淵に猪口に窯変浮かびをり
ストローで突く檸檬と生返事
秋祭明日死ぬひよこ抱き帰る
冷やかやゆつくり沈む注射針
金継の稲妻めける風炉名残
芋煮会敬語の緩みゆく頃に
冬隣死顔のなきたまごっち

略歴

平成9年静岡県生まれ。京都府在住。「雲の峰」会員。今年の4月より超結社句会「四季の料理帖」を主催。