ガラス乾板写真のことなど
👤堺谷真人

令和3年、大阪の叔母が他界した。

またもや身内の不幸の話から切り出して恐懼の至りなのだが、今回の叔母は前回本欄で触れた叔母の姉、筆者の先考からすれば妹に当たる。

アパレルのパタンナーを職業とし、生涯独身を貫いた。
趣味は旅行と絵画。
少壮の頃から海外旅行を好み、足跡は世界各地に及んだ。
遺品整理の際、残されたのは平積みにすると身の丈に余るほどのアルバムの山。
大量の旅行写真が整然と収められてゐた。

さて、その叔母の形見の品の中に、古色蒼然とした厚紙の赤い小箱があつた。
「ILFORD SPECIAL RAPID PLATES」の英文字。
中身をあらためると、小さなガラス板が10枚ばかり出て来た。
人物や風景のモノクロネガ画像。
それが銀塩フイルム普及前に広く使用されてゐた感光材、写真用ガラス乾板であることを領会するのに時間はかからなかつた。

サイズは縦4.25×横3.25インチ。手札判と呼ばれるものだ。
製造元のイルフオード社は1879年創業、英国の写真用品メーカーである。ガラス乾板写真は解像度が高い上に極めて平滑な表面を持ち、合成樹脂製のフイルムのやうに曲がつたり歪んだりすることもない。
そのため、1930年代以降、家庭用写真が銀塩フイルムに取つて代はられた後も、天文学、物理学、医学などの研究分野で、高い精度の要求に応へられる大判感光材として久しく重宝された。

ガラス乾板を光に透かす。
写つてゐる画像に既視感がある。
叔母の遺品の中には古い写真帖があるのだが、そこに貼られた幾葉かの紙焼きの原版がこれだつたのだ。
鉢植ゑの花や庭木などの被写体を除くと、大半が若かりし頃の祖父・寛(1899-1932)の肖像であつた。

その一枚が本稿冒頭に掲げたスナツプである。
写真帖所収のすつかりセピア色に変色した紙焼きの傍らには「自ラ撮影ス 大正拾四年拾壱月 宝塚ニ於」といふ毛筆のキヤプシヨンが添へられてゐた。
1925年11月当時、祖父は26歳。
今から100年以上前に「自撮り写真」を撮影してゐたのも一寸驚きだが、筆者の興味をより強く惹いたのは撮影場所となつた橋の方であつた。

調べてみると、特徴的な上部構造を持つこの橋は、当時、武庫川右岸の「見返り岩」付近と対岸の「愛の松原」とを結んでゐた千歳橋であることが判明した。
石原時計店の二代目社長、石原久之助が私財を醵出し、1921年5月に架設した鉄筋コンクリート製の橋である。当時としてはスタイリツシユでモダンなフオルム。
造型的な面白さも手伝つてか、宝塚名所として人気を博し、数多くの絵葉書などにその姿をとどめたが、惜しいかな、1945年10月の阿久根台風(国際名:ルイーズ)による増水で崩潰流失し、その後は遂に再建されなかつた。

この写真については後日談がある。

形見分けで件のガラス乾板を引き取つた筆者は、何とかして新しい印画紙上に祖父の「英姿」を蘇らせることはできまいかと考へた。
一日、芦屋の某写真館に立ち寄り、実はかくかくしかじかのガラス乾板があるのだが、こちらで紙焼きして貰へないかと相談した。
が、店主の答へはNOであつた。

今、ガラス乾板から印画紙にプリントできる写真館はありません。
どうしてもしたければ、窓などにガラス乾板を立て掛け、デジカメで撮影して下さい。
ネガ画像のデータをフオトシヨツプで白黒反転処理するとポジ画像が得られます。

なるほど、その手があつたか。早速、試すことにした。

裏側から透過光が当たるやう、窓ガラスの手前にガラス乾板を置き、スマホで撮影する。
しかし、うまくいかない。
ガラス乾板の表面は鏡のやうにつるつるで、撮影者の姿が映り込んでしまふからである。
試行錯誤の末、ガラス乾板から可能な限り距離を取り、ズーム機能を使つて撮影することで映り込みを最小限にすることを思ひ付いた。
あやにくフオトシヨツプは使つたことがないため、パワーポイントで画像を白黒反転。
かうして得られたのが、冒頭の写真である。

同様にして、祖父の写つてゐる他の写真を幾葉かポジ画像化することには成功したものの、筆者の中には依然として一塊の疑団がもやもやと蟠つてゐた。

本当にガラス乾板写真を取り扱ふ写真館は存在しないのであらうか。

写真館店主は「ない」と断言した。
しかし、どうにも納得が行かず、引き続き諦めずに探索を続けるうち、終に五反田のさる写真館が今もガラス乾板写真を撮影してゐることを突き止めたのである。

矢張り、あつた。

早速覗いた写真館のウエブサイトにはガラス乾板写真の見本が数点掲載されてゐた。
肖像写真はどれも味がある。気のせゐかも知れぬが、被写体の人物に一種独特な気品、風格さへ備はつて見える。
ガラス乾板を使ふ写真機は重くて扱ひにくい。
写真師も真剣勝負だ。
その前に立つ被写体も我知らず背筋を伸ばすことになる。
当節のデジカメやスマホでお手軽に撮れる写真とは抑々訳が違ふのである。

サイトの説明によると、写真の引き渡しの際には紙焼きとは別に桐箱入りのガラス乾板を納品してくれるらしい。
さすがである。
さぞかし良き記念になるべしと感心したが、お値段を見て一驚した。
金五万円也。
ガラス乾板写真はもはや実用的な記録媒体ではなく、ブルジヨワ趣味の満足に奉仕する贅沢品であることを筆者がつくづく思ひ知つた刹那であつた。

古写真の裏側に住む薄暑かな

堺谷真人
1963年 大阪生まれ。大阪大学文学部哲学科卒業(中国哲学専攻)
1987年より1993年まで「一粒句会」にて堀葦男に師事
1997年 季刊俳句誌「一粒」創刊同人
1999年 現代俳句協会入会
2003年 「―俳句空間―豈」同人
大阪俳句史研究会会員