グラフィティ/落書き
―北米の俳句
👤木村聡雄
母校の校庭
わがグラフィティの上に
グラフィティ
バリー・グッドマン
the old school yard
my graffiti covere
by graffiti
Barry Goodmann
壁や店のシャッターに書かれたスプレーなどによる「落書き」(graffiti) は、ほぼどれも無許可だろう。
この句に表された「グラフィティ」とは、そうした何やら文字の類のことで、ニューヨークで1970年代に現れたストリートアートの一種である。
自己の存在主張(たとえば、〇〇参上!)のために仲間内の通称(タグ)をできるだけ個性的に、かつ(違法なので)急いで書くと関係者以外にはほぼ読めない。
こうした迷惑な落書きはさらに落書きを呼ぶのでどんどん増えるばかりで、すさんだ街並みになるのを防ごうと消すのも大変な苦労だろう。
この句の作者もおそらく迷惑と知りつつ学校でそんな落書きをしていたようだ。
ところで、単なる落書きを超えたグラフィティの発展形は日本でも知られている。
ストリートアートをポップアートの精神で解釈したニューヨークのキース・へリングのイラストは、あのユニクロのTシャツのデザインにも採用されて、わが国でも彼の単純化された絵を見たことのない人は少ないほどだろう。
さらにわれわれの心に浮かんでくるのは、世界を股にかけて活動する謎のイギリス人ストリートアーティスト、バンクシーに違いない。
彼はステンシル(型紙)を用いた路上無許可イラストで知られているが、ここ日本では、2000年代初めに東京港区の新交通システム臨海線の駅近くで、彼の作品らしいネズミの絵が見つかった。
そのときは、単なる違法な落書きとして処分するか、あるいは世界的アートとして保護すべきか、小池都知事も巻き込んで議論となったことは記憶に新しい。
結局、その場所から撤去後に東京都が保管しているとされる。
そして今年(2026)になって、このバンクシーの正体が明らかになったというニュース(過去にもあった)が世界を駆け巡ったのであった。
さて、この句の著者も学校時代は当時の新たなアートスタイルに魅せられて過ごしたのだろう。
落書きには違いないのだが、「グラフィティ」という用語を使っているからは作者にとっては単なる「落書き」 (scribbling, scrawling, doodlingなど) 以上のものであったに違いない。
とはいえ、その自慢のグラフィティも今や新たなものに上書きされてしまっているという。
読者は時の移り変わりというメッセージを読み取ることだろう。
なお、句中の “old school” はここでは文字通り「母校」であるが、一方、特にストリートカルチャー系においては、「昔風(あるいは初期)の流派」の意味でも使われる。
学校時代当時のグラフィティはおそらくこのオールドスクールの時代に属するはずで、作者もそれを意識してこの言い方を用いているはずである。
これは今風のニュースクールに対して、「渋くてかっこいい」場合もあれば、逆に「古臭い」との両義となっている。
さて俳句の場合はどうだろうか。
(俳句和訳:木村聡雄 Haiku Canada Review, Vol.4 Feb. 2010 No.1)
[On Graffiti—Haiku from North America Toshio Kimura]