あたたかい涙をためた病気の犬
―ヒデキ・スエモリに捧げるⅥ―
👤大井恒行
瞑想の春の象(かたち)よ消えゆく愛
からみつく水の花片や雪意の春
いのちある光しぐれて草の静けさ
ベンガルの樹を抱きしめる魔除けの月光
はこべらは踏絵とならん 病み呆けの
病(やまい)色(いろ)は白くだんだん彗星に
亡命者(ユニグレ)の歩調(ほなみ)に重ね草の鳥
万象を至福で濡らすホトトギス
霊魂の鳥 梯子を捨ててヒマラヤへ
紅(くれない)の星をうかがう鷲よ飛び立て
からみつく水の花片や雪意の春
いのちある光しぐれて草の静けさ
ベンガルの樹を抱きしめる魔除けの月光
はこべらは踏絵とならん 病み呆けの
病(やまい)色(いろ)は白くだんだん彗星に
亡命者(ユニグレ)の歩調(ほなみ)に重ね草の鳥
万象を至福で濡らすホトトギス
霊魂の鳥 梯子を捨ててヒマラヤへ
紅(くれない)の星をうかがう鷲よ飛び立て
大井恒行「あたたかい涙をためた病気の犬
―ヒデキ・スエモリに捧げるⅥ―」10句鑑賞
👤瀬戸優理子
副題「ヒデキ・スエモリに捧げる」とあるが、Web「現俳」2025年12月号には同タイトルの「Ⅳ」が発表され、水口圭子氏が鑑賞を寄せている。
本連作の鑑賞の一助として参照されたい。
👉WEB現代俳句2025年12月号
現代俳句協会賞×年度作品賞「競詠」相互評
▶瞑想の春の象(かたち)よ消えゆく愛
万物が瞑想するかのように呼吸と意識を「春」へ向けてゆく。目には見えない内的エネルギーを「象(かたち)」として捉える感性が瑞々しい。
冒頭はゆったり平穏な世界を描く一句かと思えど、後半は一転、「消えゆく愛」と寂しい。「愛」はキリスト教の愛(アガペー)をイメージした。見返りを求めない無償の愛。それがもはやフィクションでしか成り立たないかのような世の中への憂い。だからこその瞑想なのだ。
▶からみつく水の花片や雪意の春
何へ、どこへ「からみつく」のかは書かれていないが、前句からの流れで「春」そのものへなのだろうと読める。
「水の花片」は「雪意」の語から、六花とも呼ばれる「雪」の前身を想起する。水→花→雪へイメージを展開させながら、「春」を最後に置くことで不可逆的ではない季節の巡りが見える。花鳥諷詠の手法では零れ落ちてしまう季節のあわいを繊細に描写。
▶いのちある光しぐれて草の静けさ
中七「しぐれて」が「光」にも「草」にも掛かるように読める重層性。掲句の場合は、「涙ぐむ」の意で使われているのだろう。
「いのちある光」の健気さは、殊に「しぐれ」た「草の静けさ」に宿る。慈愛の「光」は「しぐれ」てもいる。ここに、連作のメインタイトル「あたたかい涙をためた病気の犬」の姿も重なる。
▶ベンガルの樹を抱きしめる魔除けの月光
「ベンガルの樹」はベンガルボダイジュのことだろうか。「長寿」「神聖」のシンボルとされる一方で、他の植物に巻きついて絞め殺すように(あるいは実際に殺して)成長する特性もある。その樹を抱きしめた作中主体は、樹に宿る魔性を鎮めることができるのか、それとも逆に絡めとられて息絶えるのか。生存競争を思わせる措辞だ。
互いにただ抱きしめ合えるように、月の女神による魔除けの儀式が始まる。
▶はこべらは踏絵とならん 病み呆けの
春の七草のひとつである「はこべら」。「繁縷」と漢字で書くと、いのちを繋ぐあらゆるものの暗示のようにも読めてくる。健気に咲く花を前にして、どう行動するか?
一字空きで置かれた「病み呆けの」が痛烈だ。「病み呆け」している権力者、為政者に突き付ける問いと読む。オブラートに包んで差し出されたポエジーに、社会詠としての奥行きが潜む。
▶病(やまい)色(いろ)は白くだんだん彗星に
「病色は白」と断じる。「赤(火)」「緑(大地)」「青(水)」を混ぜると「白い光」になるが、戦火に侵される地球の病態を暗示しているとも取れる。
あるいは、新興俳句のカラーコードとしての「白」を下敷きにしているとも。「頭の中で白い夏野となつてゐる」と詠んだ高屋窓秋の最晩年の句には「星影を時影として生きてをり」がある。「白」と「星」のモチーフを重ねたのは、窓秋へのオマージュとも。
▶亡命者(ユニグレ)の歩調(ほなみ)に重ね草の鳥
ここから結句まで「鳥」のモチーフの句が並ぶ。いずれも花鳥諷詠の中の「鳥」に収まりきらない象徴性を帯びている。
掲句は「歩調(ほなみ)」の音から「穂波」へ連想が広がり「草の鳥」へと展開する。「亡命者」という時事的な背景を持つ語から、寄る辺なさが漂う景への転化に眩惑させられる。「草の鳥」は「蔦」もイメージさせ、祖国を離れても逃れられないしがらみを思う。
▶万象を至福で濡らすホトトギス
宇宙に存在する、有形無形あらゆるものを至福で濡らすかのように鳴くホトトギス。「濡らす」の動詞は光に満ちた多幸感、抒情溢れる世界を強調する。
しかし、それは表の句意。この「ホトトギス」は伝統的な花鳥諷詠の俳句観の象徴でもあろう。となれば、反語的な句意も立ち現れてくる。
▶霊魂の鳥 梯子を捨ててヒマラヤへ
「鳥霊信仰」を下敷きに、精神的高みを目指す詩人の魂の句と読んだ。
「ヒマラヤ」はチベット仏教が根付く地。そこでは、死者の肉体をハゲワシに与える鳥葬を「魂を空(天)へ運ぶ儀礼」と捉え、転生を助ける存在としてハゲワシを畏敬する。
梯子を架けて物理的に天の高みへ近づこうとしても、所詮敵わないこと。鳥に肉体を捧げ、鳥に魂を運ばれてこそ昇天できる。あらゆる芸術に通底する精神を思う。
▶紅(くれない)の星をうかがう鷲よ飛び立て
実景として読めば「紅の星」はオリオン座のベテルギウス、「鷲」は「ゼウスの鷲」として宇宙ロマンの句となるが、それだけではない。
「紅の星」は共産主義のシンボル、「鷲」は空軍の象徴。さらに、ベテルギウスはいつ超新星爆発が起きてもおかしくないと言われる寿命の近い星。一気に、「第三次世界大戦」を警告する不穏な句に変貌する。