「新しい戦前」と「立つてゐた戦争」②
👤柳生正名
戦争が廊下の奥に立つてゐた
渡邊白泉
この一句が昨今のインターネット空間において俳句関係者による俳句論以外の文脈でどのように登場しているか、という視点から引き続き見ていく。
昨年8月、被爆80周年を迎えた広島で被爆した切明千枝子さんが95歳(当時)にして自らの被爆体験を後の世代に伝え続ける様子を紹介するテレビの報道番組があった。その中で
昭和の初めに作られた俳句『戦争が廊下の奥に立ってゐた』。私はいまも戦争は廊下の奥に立っていると思う。
と危惧の念を語った1シーンを視聴することが可能だ。自身も歌集を刊行している切明さんは、かねてからこの一句を引き合いに昨今の危うい空気感を指摘してきたが、原爆投下から80年目の今だからこそ、込められた痛切な思いを実感させる語りだった。
前回紹介した加藤秀樹氏の例も含め、この白泉の一句が一般的な言論中に登場するシチュエーションはさまざまだが、その際に共有されるキーワード的なものの存在を感じる。あえて言語化すれば、それは「新しい戦前」ではないだろうか。フレーズとしての「新しい戦前」は、2022年12月28日に放映された『徹子の部屋』(テレビ朝日)の番組内でのタレントのタモリの発言が〝語源〟とされる。タモリは司会の黒柳徹子から「来年はどんな年になりますかね?」と尋ねられ、「誰も予測できないですよね」としつつも「新しい戦前になるんじゃないですかね」と踏み込んで語った。
この事実自体、インターネットの語句検索により得られた知見だが、同様にこの一句を検索語として打ち込んでみたとき、興味深い事実に突き当たる。『徹子の部屋』放送と同じ日付の毎日新聞朝刊1面に掲載された看板コラム「余録」――社説と並び、新聞の顔ともいえるコーナーである――はこう始まっていた。
「戦争が廊下の奥に立つてゐた」は、渡辺白泉の1939年の句である。日中戦争のさなかとはいえ、国民の多くにとって戦禍がまだ対岸の火事だった頃、いち早くそのにおいをかぎとっていた。2年後、日本は第二次世界大戦に参戦する
記事はこのあと、
句を詠む文化こそないが、ウクライナではツイッターがその役割を担う。亡き人を悼み、ロシア軍の攻撃におびえ、救いを求めるSOSである。
と続いていく。この一文がタモリ発言の放送日と同日の紙面に載ったことは偶然のなせるわざという以外ない。
ただこの発言が後に流行語大賞の候補となったことからもうかがえる通り、当時、国外ではロシアのウクライナ侵攻、台湾や情報技術をめぐる米中間の緊張の高まり、国内では岸田政権(当時)による安保関連3文書の閣議決定という防衛政策の大きな転換を背景に、戦前への回帰を実感する雰囲気が醸成されていた。岸田内閣の閣議決定は相手領域内のミサイル発射基地などを破壊する「反撃能力」の保有を明記。防衛費を国内総生産(GDP)比で2%に増やす目標も示すなど戦後の防衛政策の方向性を大きく改変する内容だった。そうした空気の匂いや感触を感じ取った人々が共通に抱く思いの在りようとしてユング言うところの集合的無意識的なものが顕在化する――その意味合いではある種の「必然性を帯びた偶然」だったではないかと思えてくる。
筆者自身、所属する俳誌『海原』4月号のコラム欄に寄稿した本年2月末締切の一文で2月8日実施の総選挙の結果を受け、「戦後のニッポンの終了すなわち死が実感となって迫って来る」という感慨を記した。そして今の時代の空気感を象徴する一句として白泉の〈戦争が〉を掲げた上で、2月8日という日が「戦後のおしまいであるのみならず、新たな『戦前』の始まりとならぬようするためには一人ひとりの並々ならぬ覚悟が必要と思う。兜太ならこういう時どうするか。その問いが心を離れない日々が続くだろう」と書いたのである。
ちなみに2月8日投開票の衆議院議員選挙の期間中、与党自民党は高市総裁の下、憲法九条「改正」と併せ、安保3文書を今年中に改定する方針を公約として訴えた。総選挙後召集された特別国会における施政方針演説では「本年中に三文書を前倒しで改定」を明言し、4月には防衛装備移転の「三原則におけるいわゆる5類型の見直し」による殺傷能力のある武器の輸出解禁を閣議決定で決めた。「新しい戦前」という言葉が生まれた2022年当時に撒かれた防衛政策の抜本的改変の種が3年を経て芽を出しつつある状況といってよい。
筆者内部でのことの進み行きとして記すならば、「海原」への寄稿がまずあり、これをきっかけに白泉の一句と「新たな戦前」という語がインターネット空間にどのように登場しているか調べてみようと思い立った。その結果、これまで記したここ数年間の事例が発見された、ということになる。
以上の作業を続けるに従い、現代という時代の空気感とまったく同質なものを85年前、17音で言いとめた白泉の一句の存在の大きさを改めて認識させられた。この句が俳句界の枠を超えた社会的枠組みの中で人口に膾炙している事実を再確認し、俳句という文学形式の持つ大きな広がりの力を改めて実感した。文学表現の結晶でありつつ、社会的な存在でもあり得るということである。俳句の文学的側面だけに着目し、社会的側面を無視することはこの文学形式の本質を誤って捉えることになる。
白泉の〈戦争〉の一句は以上のような俳句が持つ本質的性格を体現しているからこそ「現代」俳句の代表作と見なされるのである。言いかえれば、この一句が読む者に芸術性と社会性の一体化した表現としての魅力を感じさせる力を持つということだ。その力の源泉は前半で述べた通り、〈戦争〉を擬人的に主語に据える修辞法と〈た〉という切字の存在にあるだろう。
そのようなことを考えながら、例えば次のような句が思い浮かんだ。
戦争がラッシュアワアに坐つてゐた
立ち読みのお隣りに戦争がゐた
むろん白泉の句へのオマージュである。独立した創作と主張する気は毛頭ない。かと言って、単に名句を茶化すパロディや戯作のつもりもまたない。あえて言えば、白泉句の持つ超時代的な普遍性を認めつつ、白泉がこの句を詠んだ85年後の令和の今を生きる存在として唱和する。それによって治安維持法という言論圧殺の圧力の下、隠喩と切字という俳句の本質を成す手法に思いを託した彼の生の在り方を追体験することにもなり得るのではないか。結果的に俳句の持つ社会的側面を再認識させ、令和の今に何らかの影響を及ぼすならば、それこそが当時、白泉が希求したものと重なるはずである。
いま「戦争」という語と切字の「た」が詠み込まれた句を広く募ってみたい。それによって戦争が様々な時空に存在するリアルな姿として今を捉えてみたい――そのような思いがふつふつ沸き起こってくる。「戦争」は必ずしも句の冒頭に配される必要はない。また主格(戦争が)以外の用い方(戦争を、戦争に……)でもよいだろう。「た」は切字として用いる以上、句末に配されるのが自然だろうが、倒置法によって句中に来るなどのケースも考えられる。白泉の一句を踏まえ、当時の彼の思いを汲み取りつつ、令和の今の実感をリアルに映した作が期待できるのではないか。
歴史的に俳句の基を成す発句が原則とする無前提性とは異なり、白泉の一句を前提にする。「発句としての俳句」というべきものではない。むしろ付句的な創作と理解すればよいのである。芭蕉の時代、発句と付句の両様を良くするものを俳人と称した。今、俳句や川柳としてジャンル化されたもの以外にも時代の空気を捉え、向き合う精神の在りようを模索することの意義は確としてあるのではないか。
仲間に声を掛けて、そのような作品を募ってみたい。それが2026年5月3日の東京・有明の地に日本国憲法擁護を求める5万人(主催者発表)が集結した「憲法大集会」に加わった1人として、爽やかな風に吹かれつつ、ふと思ったことである。