無意識にふれる道具―言葉―
👤小西瞬夏

第一回で、三鬼賞受賞者の方が言っておられた「無意識のところからすくい上げた」という言葉について考えている。

毎月一回、倉敷で開かれている小さな読書会に参加している。
倉敷駅から歩いて20分ほどの古い倉町の一角にあるカフェで、おいしい食事やお酒をいただきながらのゆるい、それでいて知の迷宮にもさまよっていけるような空間。
今月の課題本は『ラカンはこう読め!』スラヴォイ・ジェジェク著。
ラカンは人間の精神を「想像界」「象徴界」「現実界」に分けた。
これらを定義することは私には難しいのだが、読み進めながら、やはり自分ではどうしても摑むことのできない「無意識」という領域のことが頭をよぎる。
ラカンの説によると、それがこの「現実界」というものらしい。
目に見えていることが現実ではないの?と思ってしまうが、実は現実というのは人間が捉えるには限界があるということ。
それを摑もうとするのが「象徴界」つまり「言語」であるという。
この世の中にはあるけれど、名前のついていないもの、言葉にされてきていないこと、それらを切断する機能が言葉にはあるらしい。
現実界というのは、言葉で切り取ってこないと、混沌としたカオスのままなのだ。
すぐに言葉にならなくても、ああでもないこうでもないと、言葉にしていく作業をくりかえしていくうちに、ふと無意識にふれることがあるのかもしれない。
そして自分が言いたかったことはこういうことだったのか、とはじめてわかることがある。

科学が言葉で物事をすべて説明しようとする近現代において、それには限界があり、説明できないことが圧倒的である。
でもそのなかからそれをすくいとってくる方法は、やはり言葉でしかないようだ。

次回は、無意識からひろってきた言葉をどうやって俳句にしていくのかをもう少し考えてみたい。

月涼しちひさなこゑのあつまれば
             小西瞬夏
(この読書会では同時進行で連句を巻いている。現在進行中「バスの窓の巻」の中の一句)

小西瞬夏(こにし・しゅんか)
1962年生まれ、岡山県岡山市在住
「海原」同人、現代俳句協会会員
「海程新人賞」「海原賞」受賞
句集『めくる』『一対』『けむりの木』