脳を洗うような体験
👤神山姫余

20代の頃から、「山海塾」の舞台に魅了されている。

「山海塾」とは、1975年に天児牛大(あまがつうしお)が結成した日本を代表する舞踏グループである。
フランス・パリ市立劇場を創作の拠点とし、ほぼ2年に1度日本で公演をしている。

その舞踏は、全身白塗りで特定の個性を消し去り、普遍的な人間を体現し、地球と対話するかのようにゆっくりと静が洗練された動きで「誕生と死」「人間の本質」などを表現する。
そして、みる側の「静寂に耐える力」を試していると同時に、「ただそこに存る」という私たちが忘れかけていた生命の根源的な感覚を思い出させてくれるのだ。
このことが私にとって「脳を洗うような体験」の最も大きなひとつとなっている。

(はじめてみる人は、全身真っ白、虚ろな眼差し、超スローモーションの動きなどに少なからず衝撃を受けるのでは……。)

忙しない現代社会に追われる私たちにとって「脳を洗うような体験」とは、日常のノイズをすべてシャットアウトして自分の細胞がざわつく音を聞くことではないだろうか。

「山海塾」の舞台をはじめてみたとき、俳句創作と共通するものがあると感じた。
それは今も、かわらない。

山海塾の舞台は肉体化された詩(言葉)ともいわれ、静寂の中に深い精神を追求し、現在・過去・未来が混在するような日常とは異なる時間、感覚を作りだし、俳句は17文字の中に季の移ろいや一瞬の情景を封じ込めることで読者に独自の時間を体験させる。

一見異なるジャンルにみえながら、双方とも極限まで無駄をそぎ落とし、身体や言葉を通じて本質的な死生観や世界観を詩的に表現している。
そして、削ぎ落とすことで観客や読者の想像力を最大化し、広大な世界を感じさせている。
その表現は、身体的な舞踏と言語的な俳句創作という手法の違いを超えて、日本特有の美意識を土台とした極限の「削ぎ落とし」の芸術といえるのではないだろうか。

「脳を洗うような体験」、それは、私にとって俳句創作の為の脳内管理のひとつなのかもしれない。   
キーキーと錆びついた鈍い音が、そろそろやって来そうだ。
はてさて舞台のない今年、今度は何をいたしましょう。

ゆりかごは銀の稲妻宇宙卵
             姫余

神山姫余(かみやまひめよ)
1963年生まれ 栃木県出身
「豈」同人
現代俳句協会会員 国際俳句協会会員
日本ペンクラブ会員
句集に『太陽神』『血のリズム』『未生怨/死児の森』『ヤコブの階段』