外山滋比古著『省略の詩学』
👤長井寛

1.外山滋比古の俳句論

外山滋比古は『省略の詩学』で俳句の本質を以下のように述べている。

「十七音の短詩である俳句で、近いものが結びあっていてはおもしろくない。あえて切って遠いものと結んでこそ詩美が生まれる。」…「遠い言葉を結びつける触媒のはたらきをするのが季語である。」…「そして、ついには、論理そのものさえあえて削り落とす。さすがにこれには切字というものの力を借りる」など。また外山滋比古著『俳句的』には「短詩型文学は、散文を読むようによんではいけないのである。そもそも「よむ」こと自体が詩となじまぬ。・・・『省略の詩学』では「ワーズワースに「詩は静謐の間に回想された情緒なり」という有名なことばがある。それにあやかっていえば、俳句は情緒の中で描かれた自然、情緒であるとしてよかろう。即興、写生ではない」と断言している。

2.「第二芸術論」

「第二芸術論」は桑原武夫が昭和21年に『世界』に発表、花鳥諷詠による客観写生を重視し俳句攘夷論と俳句交流論とが入り混じる時代であった。その後70年が経過した。桑原が発表した論旨の要点は以下の通り。「人生そのものが近代化しつつある以上、いまの現実的人生は俳句には入りえない。」「芸術の名を要求するならば、私は現代俳句を第二芸術と呼んで他と区別するがよいと思う」。また桑原曰く「戦後の人々の憧れは人間中心の西洋の近代思想や芸術であり、教育や生活文化にも取り入れることが必要なのに俳句や俳句界にはそれがない」と嘆いている。

島国日本という「井」に閉じ込められてきた俳句の思想は普遍的である。歴代の俳人たちが「されど空の青さを知る」の格言通り焼け跡の中から天を衝くほどの俳句の研鑽を積み重ねてきた。また昭和2、30年代は選抜
された学者のみが海外へ派遣される時代であった。70年間に桑原の論を覆し俳句界は造型俳句、前衛俳句、社会性俳句等に人の心を詠い続け、西洋文化にあまり関心を示さなかった。その反面桑原の言う通り「西洋の近代思想、芸術」が堰を切って日本へ押し寄せてきたのである。情報通信の発達により日本は極東の島国ではなくなったのである。

3.『第二芸術論』に対する外山滋比古の評

桑原武夫が書いた「俳句第二芸術論」が当時猛威をふるっていた。 『俳句的』で外山は「いまから五十年前、イギリスはケンブリッジ大学にすこし風変わりな英文学の教師がいた。あるとき、彼は学生に作者の名を伏せた詩をいくつも読ませて批評を書かせた。こういう方法で読者にとって作者名がいかに作品の評価に影響を与えるか、あるいは誤解のもとになるかを実証的に追及しようとしたものである。・・・この人がI・A・リチャーズで、そのときの記録をもとにして書かれた『実践批評』(1929年)は文学批評に大きな一石を投じることになった。」そして『俳句的』に「当時の俳壇にはすくなくとも、ここにのべてきたような事情を承知している人はなかったように見受けられる。」と記す。「ここにのべてきたような事情」とはリチャーズに触発された第二芸術論 が英米の批評・研究に生じた作者情報からの解放という大きな変革の流れに乗るものであったことである。つづけて「第二芸術論は、封建的芸術の崩壊しようとしていた欧米の批評観によって、なお堅固な封建的体制を誇っている短詩型文学を斬ったのである。」と述べている。

4.『第二芸術論』の私論

日本の俳人は俳句の本家は日本であることを主張するあまり、桑原武夫が『第二芸術論』で最も主張したかった西洋の近代思想や芸術の知識を吸収する努力を後回しにした。江戸時代の末期、日本国中が黒船来襲に怯えて「尊王攘夷論」に明け暮れた時代とよく似ている。

筆者はイギリスの旅の途中に古い日時計版に刻み込まれたマクベスが言う「人生とは歩く影にすぎない」(Life`s But a Walking Shadow.)の俳句の辞世の句にも似た台詞に遭遇した。また1410年建立のプラハ広場の古い教会の天文時計にも「人生は影のごと過ぎゆく」(Time passeth away like a Shadow.)(★passethはpassesの古形)が記されている。小生はこれがシエイクスピアに言わしめたマクベスの台詞の原典ではなかろうかと直感した。

後藤比奈夫の句に〈どの国の時計に似たる時計草〉がある。

憲法学者でもあった土井たか子は選挙で大勝した際の挨拶に「山が動いた」と表した。含蓄ある演説であった。「バーナムの森がダンシネーンの丘に来るまではマクベスは倒れない」と魔女たちがマクベスに予言する場面がある。バーナムはスコットランド中部にある町、季語の「山笑う」の時節の少し前に筆者はそのバーナムの森まで足を伸ばした。動くはずもないバーナムの森が眼前に聳え立っていた。『マクベス』ではその山に見せかけて木々を手にした兵が大挙してダンシネ―ンに押し寄せてきたため、主人公マクベスはあえなく破滅する。またイギリスのキュー植物園の日本庭園には高浜虚子の句とその英約の碑が立っている。虚子は人になついているイギリスの雀を見て歓喜したに違いない。

雀等も人を恐れぬ国の春
             虚子
Even sparrows all freed from fear
England in Spring

〈勇気こそ地の塩なれや梅真白〉と中村草田男は詠った。「サラリー(salary)」の原義は「塩(salt)」、差し詰めサラリーマンは「塩を買うためのお金が与えられた人」の意である。上田敏訳の『海潮音』やイギリスの詩人シエリーの「冬来たりなば春遠からじ」(If Winter comes, can spring befar behind?)の一節は日本の俳句にも似た抒情詩である。また川端康成がノーベル文学賞を受賞、谷潤一郎の『陰翳礼賛』や越後の田園風景をこよなく愛した西脇順三郎は何度もノーベル文学賞の候補に上った。小津安二郎の『麦秋』『秋刀魚の味』『東京物語』などの日本映画を愛するカズオ・イシグロは見事ノーベル文学賞に輝いた。2025年刊行された井口時男句集『燃えるキリン』はヨーロッパで描かれ絵画がベースになっている。特記すべきことである。

「喉仏」の英語はthe Adam`s apple(『新和英中辞典』(研究社))である。旧約聖書の「エデンの園の原罪」では「蛇の誘惑で女は禁断の実を食べそれを男に与えた」とある。西洋の文化では禁断の実は林檎、イブからもらった林檎をアダムは急いだためにうまく飲みこめず喉につっかえたことを明示している。またアロエ(aloe)の花は冬の季語である。またaloesの意は「沈香」でインド産の樹木沈香から得られる薫香料のことをいう。聖書ではアロエの複数にしばしば訳されていた。また狩猟-釣り・野外スポーツをする人の意の「スポーツマン」(sportman)がすっかり「アスリート(athlete)」に取って代わった。また歴史の意の英語「herstory」が非語として文献に散見される時代到来である。

今日の「俳句」(haiku)は世界共通の文化遺産になっている。俳句界に一石を投げかけた知の巨人外山滋比古の珠玉の『省略の詩学』の波音はいま世界中に拡がりつつある。

世界情勢は俄かに風雲急を告げる混沌とした時代に突入、闇に包まれつつある今日に於いて、人々の心を繫ぐ相互理解こそが平和への鍵となる。俳句による対話こそが世界平和への源でもある。まず俳人は身近な俳人と手を携え、隣の垣根の「壁」を越えることが肝要である。アイルランドと北アイルランドを分かつ「ピースウォール(the Peace Wall)」の如くに国と国との厚い壁を越えてこそ、はじめて世界平和が訪れるのである。