ヨーロッパの春の俳句
👤木村聡雄
さらに
桜の句―
心は
真っ白なページ
A A マーコフ
still more
cherry blossom haiku—
the mind
a white page
A A Marcoff
この文を書いている今、桜が満開である。
春の訪れが眼にはっきりと映るのだから今年もまた改めて花見に行きたくなるし、海外の俳誌をめくっていても桜の句が目に留まる。
桜を求めて来日するインバウンドの観光客が多いことからも分かる通り、春の喜びは日本のみならず多くの国々で共通であろう。
ヨーロッパの文学作品でも春は古くから主題となって来た。
たとえば、私が学生時代から学んできた中世英文学の代表作といえば十四世紀のジェフリー・チョーサー『カンタベリ物語』である。
この作品は、旅で知り合った市民や騎士らが、カンタベリ大聖堂(中世当時はカトリックであったが、現在は宗教改革を経てイギリス国教会の総本山)への巡礼の道のりで物語を順に語って行くという説話集である。
『カンタベリ物語』の「序詩」はこう始まる。
時は四月。夕立ちがやわらかにやってきて、三月ひでりの根元までしみとおってしまう。そのおしめりの精気で花が生まれて咲いてくる。 ...こんな季節になると、人々は霊廟の巡礼にあこがれて、遠い諸国の国々へ旅立つのだ。
(西脇順三郎 訳)
この西脇訳では内容が伝わりやすいように散文がもちいられているが、原文(日本語ならいわゆる古文)は韻文で書かれている。
桜ではないものの、何百年も前のヨーロッパ人もこうして季節を強く意識し、春の花を愛でて詩に留めようと試みているのである。
寒冷の地ならなおさら春の訪れが待ち遠しいに違いない。
さて引用句であるが、上述のインバウンドの状況からも伺えるように、桜や花見は世界的によく知られているし、有名なアメリカのワシントンのほかにも海外でも桜が咲くところがいくつもある。
この句の作者は「さらに/桜の句」と言っているので、これまでも花の俳句をいくつも詠んでいるのだろう。
そして、今年も桜を思うと心が「真っ白なページ」のように新鮮になるという。
この時期は誰もがまた新たな気持ちで花見に行きたくなるというだけでなく、俳人として花に向かう時には自ら心を清らかに保ちたいという思いも伝わってくる作品である。
(俳句和訳:木村聡雄)
[Spring Haiku in Europe Toshio Kimura (Blith Spirit 19:2, 2009, U.K.)]