蜃気楼
👤上田桜
幸福の鍵を渡され長閑なり
流儀など時に曲げたくなる朧
ホメロスの素直さが好き春の星
にんげんらしく蜃気楼の中に居る
鉄則は金庫の中に目刺し焼く
吾が歳は何万日目仏生会
後退りできない地虫穴を出る
智恵みがくように艶めく藪椿
本心は息切れ寸前花筏
多忙であることは幸なり木の芽風
流儀など時に曲げたくなる朧
ホメロスの素直さが好き春の星
にんげんらしく蜃気楼の中に居る
鉄則は金庫の中に目刺し焼く
吾が歳は何万日目仏生会
後退りできない地虫穴を出る
智恵みがくように艶めく藪椿
本心は息切れ寸前花筏
多忙であることは幸なり木の芽風
上田桜「蜃気楼」10句鑑賞
👤木暮陶句郎
▶幸福の鍵を渡され長閑なり
「幸福の鍵」とはジョエル・ベンイジーの書であろうか。
しあわせの秘密、人生の謎解きを12のストーリーで彩った心に響く感動のノンフィクションである。
友人から渡されたその本のページをめくるにつれて内容に引き込まれて行く作者。
長閑で豊かな時間である。
▶流儀など時に曲げたくなる朧
俳句にも、ある種の流儀がある。
古くから伝えられてきた様式やスタイルを守りつつ多くの人々が俳句を詠み俳句は独特の発展を遂げてきた。
しかしそれらも朧のようなもの。
その背景に横たわる精神性や哲学なども時に曲げたくなる。
そしてもっと自由な俳句を詠みたいと思うのである。
▶ホメロスの素直さが好き春の星
ホメロスは古代ギリシャの吟遊詩人。
「イリアス」などの英雄叙事詩で知られている。その素直な表現に惹かれる作者である。
知識や技巧を排した彼の詩から読み取れる人間性にフォーカスしているところが面白い。
古代の詩人と現代のわれわれを繋いで春の星が瞬くのである。
▶にんげんらしく蜃気楼の中に居る
現実と虚構の中に身を置く人間のあり方を、季語の「蜃気楼」を明示することで柔らかく掬い上げた一句。
「にんげん」を平仮名に開いたことによって、理念や定義ではなく、感覚的で揺らぎやすい人間像が滲み出てくる。
確かさを求めず揺らぎの中に居ることこそ人間らしいと思う作者だ。
▶鉄則は金庫の中に目刺し焼く
硬質な規律と生活の匂いが交錯する、諧謔味のある作品。
前半で「鉄則」「金庫」といった固く閉ざされた語を置き、季語の「目刺し」にぶつけている。
目刺しを焼くという庶民的な匂いとの違和感がユーモアに繋がっているのである。
鉄則が金庫にしまわれている逆説は形式化した規範への批判とも読める。
▶吾が歳は何万日目仏生会
四月八日は「仏生会」。
釈迦の生誕年ははっきりと確定していないが紀元前563年ごろという説がある。
釈迦生誕からの歳月を百万日と捉えて気の遠くなるような時間軸を十七音に落とし込んでいる。
今でも釈迦の教えが脈々とこの地球上に生きていることへの敬意の一句である。
▶後退りできない地虫穴を出る
啓蟄の声を聞くと、やむなく地上に出てくる地虫たち。
太陽の眩しさは如何ばかりか。時の流れに逆らえず、後退りは許されないのだ。
掲句は、人間の生の局面にも深く呼応しているようにも思う。
前に進むしかないという切実なる実感である。
▶智恵みがくように艶めく藪椿
「知恵みがくように」は、やや観念的な比喩だが「藪椿」の瑞々しい艶めきが映像として見えてくるから不思議である。
外面的な美と内的成熟が一句の中で重なり合って見事に昇華しているからなのだ。
▶本心は息切れ寸前花筏
「花筏」の静かな流れに、「息切れ寸前」という率直な吐露が重なり、春の長閑な平穏の裏にある疲労や焦燥が浮かび上がる。
内面の切迫と眼前の水面の映像が音もなくぶつかり合い、やり場のない作者の心情が伺えるのである。
▶多忙であることは幸なり木の芽風
前句にも繋がる内容だが、思考がポジティブへと変換されている。
多忙とは託された信頼。
それに気が付いた幸せである。
そしてやはり季語の「木の芽風」がいい。
どんな時も現実を肯定する心は大切だ。
それを後押しするような木の芽風。
木々の漲る生命力をさらに萌え立たせる風である。