「わたしの一句」鑑賞
👤並木邑人(なみきゆうじん)

現代俳句2026年04月号掲載 撮影者:音部正博
春は名のみの風の寒さに翻弄されるこの季節は、年度替わりの煩雑な仕事に時間を割かれる煩わしさもあって、静かに俳句に集中することができない。
加えて見掛け倒しの繁栄を告発した不知火忌、わが師兜太の忌日、わが家を灰燼と化したジェノサイド空襲忌、未曾有の津波と原発事故を齎した震災忌が連綿と連なり、金黒羽白のように心の水底をザワザワと泡立ててくるのだ。
津波から15周年に当たる今年の新聞は震災一色だったが、メルトダウンにあれほど慙愧した国民も、戦争賛歌一色に染まった時代を再現する如く、政府のプロパガンダに洗脳され始めている。
高野ムツオと震災というと、直ちに思い出すのが
泥かぶるたびに角組み光る蘆
陽炎より手が出て握り飯掴む
などだが、震災を直接的に体験している高野にとっても、この季節を心穏やかに過ごすのは容易ではない筈だ。
しかしそれはそれとして、「わたしの一句」に桜と金黒羽白との取合せを平明に表現する姿には好感が持てる。
15年という年月が拘りを少しずつ溶解させたとは言え、俳人高野ムツオの大きさを示してくれたものであろう。
なお桜は春で、鴨の傍題である金黒羽白は冬の季語だなどという野暮は止めていただきたい。
金黒羽白は鴨の仲間で、星羽白とともに潜水して採餌するタイプの鴨。
外の鳥と同様メスは地味な色合いだが、オスは頭と背中が黒、羽は白、眼は金色と遠目にも見分けがつく。
殊に金色というか黄色というか眼に特徴がある。
冬鳥だから春にはシベリアに帰るのだろうが、飛翔する金黒羽白は滅多に見られない。
なお、現代俳句協会の現代俳句データベースには鴨の例句は数多あれど、金黒羽白の作品は見当たらない。
桜降る金黒羽白の金の眼に
鴨の眼に写った桜の花びらを詠んだ一句だが、金・黒・白・桃色の組合せが際立ち、春の到来を言祝ぐ一幅の絵画を視ているかのようである。
平和裏の静かな風景であるが、微かな音楽が奏でられているようにも感じられる。
まず水面の揺蕩いの中を、a音とu音の言葉が抵抗もなく流れてゆく。
転調してkinのリフレインが歌謡曲のサビのように迫ってくる。
花びらが水面に接する無音の波動があり、水に潜る金黒羽白の律動もある。
穏やかな空気の流れがあり、水面を囲む山野の囀りがある。
稗の穂の金色の音陸奥の国
金蠅が来て夕焼の話する
金鶏山身震いしたる夜寒かな
みちのくの闇ぞろぞろと金目鯛
句集『蟲の王』から「金」を表現した句を並べてみた。
kinの音はある種の緊張、高揚を呼び込む言葉ではある。
高野ムツオは、無限の言葉の海から最適解の用語を選び出す能力に長けた俳人である。
また言葉の流れ方を常に意識しているようにも感じられる。
一句が抵抗もなく頭の中に入ってくるのである。
心の隙間につけ込む詐欺の手口、能天気な政治家の責任なき発言、常に弱者を掘り返すヘイトスピーチ、ついつい余計な一言を発してしまうハラスメント、お手軽に罵詈雑言を浴びせるSNSなどコトバへの不信感がますます広がっている現在、言葉と真剣に格闘する俳句の姿勢は格別なものに写る。
無論、俳句が社会変革を駆動することはできず、たかだか言葉を制限することによって重層化し、言葉の伸縮性や象徴性、人間社会や自然の美しさ及び逆の現象を暗示することができるだけである。
それでもそこに示された俳句の姿が、人々の新しい記憶となっていく可能性は大いにあるのではないだろうか。