現代俳句の明と暗
―西東三鬼賞授賞式に参加して―
👤小西瞬夏

第33回西東三鬼賞授賞式

第33回西東三鬼賞授賞式
桜のつぼみも一つ二つと咲き始めた津山鶴山公園を過ぎ、津山市役所で開催された、西東三鬼俳句賞授賞式に参加した。
三鬼賞は平成五年から始まり、今回が第三十三回の開催である。
三鬼は岡山が誇る俳人。
その名前を冠した賞は、毎年独特な受賞作品を俳壇へと送り出している。
角川俳句賞でも、俳壇賞でも、他のどんな俳句賞にも似ていない。
今回の大賞作品は
虫売りです風葬にしてくれますか
木村オサム
現代俳句協会会員の方の受賞であった。
市長のあいさつ、授賞式と続き、その後懇親会へと移った。
受賞者と津山で三鬼賞のお世話をしてくださった方々との場である。
まずはおきまりの自己紹介があり、そのあとはご自由にご歓談ください、という流れであったが、そのあとの展開がとてもスリリングなものであった。
普通は大賞の作品のすばらしさ、三鬼のすばらしさを語り合って、親睦を深めていくのであろうが、ここで「これまでの三鬼賞も含め、そこには現代俳句の明と暗があるのでは」という発言が飛び出したのだ。
私はそれにとても興味を覚えて「その暗についてもう少し聞かせてほしい」とお願いした。
「新鮮な発想はとても魅力だが、新規なことをやろうとして無理やり言葉を際立たせようとすること、意味で繋げてしまうことなどに課題があるのでは」という話が出てきた。
新しく今までになかったものが生まれることが「明」、作りすぎてしまったり、理屈が前に出てしまったりすることが「暗」ということか。
受賞者の木村さんからは「この句は虫売りからイメージが始まって、いくつも言葉が浮かんだなかで自然とこの一句になった。
無意識のところからすくい上げられたような感覚」という言葉があった。
一時間くらいの懇親会であったが、さまざまな問いを得たことが、私にとっては大きな収穫であった。
何が「無意識のところからすくい上げられた」のか、自然と句になるとはどういうことなのか。
言葉を使いながら、どうやって理屈を超えていくのか。
次回のエッセイで引き続き考えてみたい。
(来年度は、三鬼賞委員を仰せつかりました。たくさんの方のご投句をお待ちしています。)
今回の私の三鬼賞入選句。
冬瓜を炊いていびつなる夕闇
近づいて唯八月の膝を折る
小西瞬夏
小西瞬夏(こにし・しゅんか)
1962年生まれ、岡山県岡山市在住
「海原」同人、現代俳句協会会員
「海程新人賞」「海原賞」受賞
句集『めくる』『一対』『けむりの木』