百三歳になった高柳重信
─ その3
👤後藤よしみ

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高柳重信 33歳

机の上に広げた重信の写真を、一葉ずつ、そっとめくってゆく。

赤ん坊の重信。
きりっとした祖母の腕に抱かれ、まだ世界の匂いを知らぬ横顔。
小学校・中学校の制服姿。軍国主義的校風の中学時代は、頭がつるりと丸い。
早稲田大学では長髪となり、仲間たちと肩を組む笑顔が、時代の風をそのまま写している。
軍事教練の一場面。母や家族との団欒。
敗戦後の戸田橋に立つ、着流しに蓬髪の重信。
和服姿で書架の前に佇む影。
俳句の父・富沢赤黄男と談笑するツーショット。
お馴染みの黒縁メガネの顔写真。

六十葉ほどの写真群は、どれも指先に触れると、かすかな体温が返ってくる。

色紙を手に取る。
「山は即ち水と思へば蝉時雨」。
山の静けさと蝉の声が、紙の上でひとつに溶けている。
「友よわれは片腕すでに鬼となりぬ」は、酔いの勢いか、字が跳ね、紙の上でまだ息をしているようだ。
三枚も残っているのは、重信自身がこの句を手放せなかったからだろう。
「未老年雪の真富士に泪して」には「苑子へ」と添えられている。
パートナー中村苑子である。
雪の白さと涙の透明が、紙の上で静かに寄り添っている。
「古鷹は思へりき杉彦と桜彦」には裏書があり、「昭和五十六年三月廿五日 山崎蕗子さんのために 重信」。
初孫への祝いの筆致は、どこか柔らかい。

色紙二十五枚。
どれも、書いた人の呼吸が、薄い紙の奥に沈んでいる。

そして、幾重にも包まれた初版本『蕗子』を開くとき、指先がわずかに震える。
重信が自ら印刷した、わずか百二十部のうちの第〇番。
最初の一冊である。
表紙裏には、「船焼き捨てし/船長は//泳ぐかな」とある。

その言葉を読むたび、遠い海の匂いが胸の奥にひらく。
句集の奥に、当時の空気がまだ眠っているようだ。

これらの遺品は、重信の長女・高柳蕗子氏からお預かりした。
『評伝高柳重信』の口絵に写真を掲載するため、無理をお願いしたのである。

重信の〇歳から五十代までの姿を手元で眺めていると、時間がゆっくりと逆流していくような気分になる。
夢の中のようでありながら、どこかで「これは必然だ」と囁く声もある。
十数年の重信との年月と、敗戦後に重信が暮らした埼玉県戸田という町で、蕗子氏と出会ったこと。
その二つが、静かに一本の線となって、私の前に伸びている。

戸田は、私の住む町であり、蕗子氏が生まれ育ち、今も暮らす町である。
数年前、地元の短歌教室の講師名に「高柳蕗子」を見つけたときの驚きは、今も胸の奥に残っている。
すぐに参加し、それ以来のお付き合いとなった。
蕗子氏の姿は、私には、句集『蕗子』の頁からそのまま歩み出てきたように見えた。
小柄なところや顔のラインは、重信とよく似ている。
翌年には『評伝高柳重信』の草案をお渡しし、目を通していただき、出版のご了解を得た。

この初夏、蕗子氏は歌集を上梓される。
同じ頃に出版予定の『評伝高柳重信』のことを気遣ってくださり、今回の貴重な遺品――写真、色紙、『蕗子』――を預けてくださった。

蕗子氏の歌会は隔月で開かれるが、初心者の私にも優しく、行き届いた鑑賞をしてくださる。
かつて重信が「弟殺し・子殺し」と恐れられた峻烈な批評を若手に浴びせていたことを思うと、親子でもここは違っていると感じる。

その違いを思うたび、時代と出逢いというものの不思議さが、胸の奥で静かに波を立てる。

百三歳の重信は、今どんな顔でこの光景を眺めているだろう。
自分の「評伝」なるものを、恐れも知らず世に出そうとしている人間と、句集の題名にもなった蕗子氏が並んでいる姿を。
呆れ、眉をひそめ、あるいは苦笑しながら見ているのかもしれない。

その答えは、私が重信のもとへ行ったとき、静かに尋ねてみたいと思っている。

重信の白髪千丈糸桜
             後藤よしみ

後藤よしみ(ごとう・よしみ)
1958年 山形県生まれ
2018年 全国俳誌協会賞受賞
2022年 現代俳句協会評論賞佳作、埼玉県現代俳句協会大賞準賞
2023年 日本詩歌句随筆評論協会賞(評論部門優秀賞)
2025年 埼玉文芸賞(文芸評論部門佳作)
現在、全国俳誌協会常任幹事 現代俳句協会会員
鷗座同人・小熊座同人