竿燈高々と
―― 令和8年度現代俳句協会定例会見
👤宮崎斗士

2026年7月31日(金)午後1時30分より、現代俳句協会事務局にて令和8年度現代俳句協会定例会見が開催された。

俳句総合誌編集長の皆さまへの、今年度現俳三賞(協会賞・評論賞・年度作品賞)受賞者の方々の紹介――。まず、顕彰部長である私の方から、三賞の選考経過の報告、受賞作の紹介、選考委員の方々による推奨の弁の紹介などを行った。会見には鈴木牛後さん、山根もなかさん、庄子紅子さんが出席された(対馬康子さんは欠席)。

第81回現代俳句協会賞は、鈴木牛後さんの『鄙の色』、対馬康子さんの『百人』が受賞。

雪が降る空が剥がれてくる眠る
春来る尾の有るものに無いものに
黒牛に黒い反芻熱波来る
             牛後

百人に死は百通り薔薇の香水
永遠のあとの空っぽへと雪が
妻でなく母でなく午後のアネモネ
            康子 

👤鈴木牛後さんによるスピーチ

私は三年前の11月にこちら(埼玉)に転居してきたんですけど、それまでは北海道で酪農経営をしておりました。それで今回の句集は、北海道にいる時に作った俳句のみで構成されています。それは単に区切りがいいという理由もあったんですけど、それだけではなくて句集の中に転居や廃業などのライフイベントを入れたくなかったということがあります。
ライフイベントを句集に盛り込むという例はたくさんあって、それはそれで非常に良いことだと思うんですけど、それをしてしまうと私の場合はライフイベントが際立ちすぎるなと思ったんですね。そこに注目して読まれるということを避けたかった、作品本位で読んでほしかったというのがありました。
俳句の表現としての俳句をとにかく読んでもらいたい――そこに重点を置いて作った句集です。

👤対馬康子さんの挨拶(書面にて)

私にとって俳句とは、世界を説明するものではなく、世界と深く結び直すための文学です。(中略)『百人』は、人は決して一人では生きられないという思いから生まれた句集でもあります。人と人との縁、世代を超えて受け継がれる記憶、災禍を経験した国土に生きる者として抱き続けてきた祈り、今まで多くの人が心の奥底で出会い、そしてこれからも多くの人が出会うであろう思いを共にする一人として、その内面を一冊に込めたいと願いました。

そして、第46回現代俳句評論賞は山根もなかさんの「俳句は第一芸術である―知覚・形式・運動の条件」が受賞。

👤山根もなかさんによる受賞作紹介

「俳句は第二芸術である」という桑原武夫が投げた問いに対して、俳壇の応答は擁護に傾き、桑原が突き付けた構造そのものを内側から解きほぐすところまでは届きませんでした。八十年を経てなお、そこは宿題として残されています。この度の私の一編が問うのは、俳句がどのような条件のもとで第一芸術として立ち上がるのか――その条件であります。
桑原論は西洋近代芸術の物差しを外側から俳句にあてがった評価でした。私はそれとは逆向きに、句の中ですでに動いている構造から出発する、理論を上から降ろすのではなく、句の内側で起きている運動を辿ることで、俳句の成立条件を見直したいと考えました。

第27回現代俳句協会年度作品賞は庄子紅子さん「仕草」(30句)が受賞。

一日の真中に置かれ桜餅
揺れたくてゆれたくて紐春深し
傘畳む仕草を秋の暮という
             紅子

👤庄子紅子さんのスピーチ

この度は年度作品賞受賞、大変光栄に思っております。六、七年くらい前から毎年、年度作品賞応募させていただいておりまして、自分の中では年中行事というぐらいに思っていたのですが、受賞と聞いた時には本当にびっくりしました。この賞をいただいたということは「これからもしっかり俳句を学んでいきなさい」という励ましをいただいたと思っておりますので、しっかりやっていきたいと思います。ありがとうございました。

「あ、もう来週竿燈まつりか……」。会見終了後、帰りの電車の中で、私は毎年8月上旬に開催される秋田の竿燈まつりを思い出していた。今まで私は二度訪ねたことがある。見ているだけで元気を貰えるような楽しくも勇壮な祭である。
まさしく修練の賜物、数多の提灯をぶら下げた大きくて重い竿燈を、体の至るところを使い、夜空に向かって立ち上げる……。
現俳三賞受賞者の方々の俳句に対する情熱とパワーに、高々と聳える竿燈が感じられた会見だった。

三賞の竿燈高々と会見
             斗士

宮崎斗士(みやざきとし)
1962年生まれ
「海原」発行人・会友欄「海原集」選者
「青山俳句工場05」編集発行人
現代俳句協会理事・顕彰部長
東京四季出版「俳句四季」俳句投稿欄「四季吟詠」選者