肉体労働者に寂しい朝帰りを
👤中嶋憲武

30歳を迎えようとする頃、それまで勤めていた六本木のデザイン会社を辞めた。
PR映画の制作会社の面接を受けて、そこの社長に気に入られたけれど、グラフィック関係の専門学校へ行かずに、グラフィックデザインの職にせっかく就くことが出来たのに、ここで辞めてしまっていいものかと迷っていた。
そのうち社長と親密な関係であるフリーのコピーライターの女性と懇ろになり、不適切な関係になったのがバレて、居づらくなったということもある。
デザイン会社の社長とはギクシャクとした状態が続いて、仕事上のことで口論となって、社長にステンレス製の定規で頭を叩かれ、額から流血をみた時、もう辞めようと咄嗟に思ったことが大きな理由かもしれない。
当時の俺は、社長がアトリエ用として借りていた神宮前のアパートにタダで住まわせて貰っていた。
実家が春日部であったので、仕事が夜中、或いはしばしば徹夜となることが多かった都合を考え、社長に引っ越してくるよう言われたのだ。

荷物をまとめて実家へ帰る日、アパートと地続きである大家さんの邸宅に挨拶に行った。
この大家さんは、お彼岸には自家製のおはぎを部屋まで持ってきてくれる、おっとりとした上品なおばさんであった。
大家さんは俺と社長のいまの関係などつゆ知らず、あなたがいなくなって社長も寂しくなるということを繰り返して言った。
実家へ帰ると居心地のよさに怠け心が出てしまい、数日をだらだらと過ごした。
二階の自室で寝ていると、夜中に隣室の母の叫び声で起こされた。
母に聞いてみると、階段を頭から爪先まで真っ黒な人が上がってきて、母の部屋へ入り寝床の近くまで来たという。
夢だろうというと、夢ではない、そこの戸を開けてしばらくこっちを見ていたというのだ。
その真っ黒な人はそれからもちょくちょく現れた。

父は家でだらだらしている俺に、なんでもいいから働けと言ったので、求人雑誌で見つけた大手物流会社の配送センターの夜勤で働くことにした。
夜勤の方が割りがよかったからだ。
職場はだだっ広い倉庫で、膝くらいの高さのベルトコンベアーが周回していて、その上に載っている荷物を地域ごとの部署へ引き込むという仕事だった。
死体以外はなんでも運ぶと言われていたロジスティクスだから、相当大きな荷物や小さくても重い荷物、長い長い荷物も回ってきた。
回ってきた荷を直角に部署へ引き込むので、みんなはマゲと呼んでいた。
隣の部署はペルー人ばかりで、気のいい奴らだったので、忽ち仲良くなった。
大きくて重量のある荷が回ってきた時など、手伝ってくれたりした。
無論彼らはスペイン語しか話さないが、お互いなんとなくわかるのだ。

途中一時間の夜食休憩があり、食堂で飯を終えたのちは、それぞれの派遣会社の部屋で休む。
部屋は八畳の畳の部屋で、そこに十五、六人の生臭い男たちが寝ころがったり漫画を読んだり花札をしたりしている。
何人かと話が合って、昨日借りた裏ビデオを返して感想を述べ、自分の所有している裏ビデオを貸す約束などしたりしていると、すぐに仕事の時間となる。
そこから四時間働いて、また部屋へ戻ってくる。十二時間の労働を終え派遣会社の中国人許さんに日給八千円を貰うと、みなうきうきとして最年少十八歳が「パーっとやろうぜ」と言う。
早朝からやっているソープにでも行くのかと思っていたら、幹線道路沿いにある黄色い看板のファミリーレストランで千三百円のサイコロステーキのセットにサラダをつけて食う贅沢をすることだった。
とにかく体力だけは有り余っている連中なので、仕事上がりに腕相撲をしている光景をよく見た。
ある日の朝、俺は腕に自信があり腕相撲も強いと自覚していたので、仲間に加えてもらい案の定何人かに勝った。
最後に組んだのは二十歳くらいの学生で、これまでに立ち会ったどの相手よりも強かった。
手の甲がテーブルまで数センチのところで耐えていた。
俺はここから盛り返すのが得意だったので、グッと切り返そうとした瞬間、手の甲が激しくテーブルに叩きつけられ、肘から先が外側へ曲がるのが見えた。
指先が全く動かず、肘から先が下へ垂れたまま力が入らない。
回りで見ていた仲間は、靭帯やったか?気持ち悪い音がしたなど言いながら、俺の周りを取り巻きいろいろ聞いてきた。
病院へ連れて行ってくれることになり、四人付き添ってくれて一人の運転する車で向かった。

整形外科の先生はレントゲン写真を見ながら、右腕の上腕が螺旋状に骨折していて、これは投球骨折と説明があった。
野球のピッチャーによくある骨折で、投球の瞬間に強いねじれの力が加わることによって、螺旋状に骨折することがあるのだそうだ。
「筋肉が強い人がなるんだよ」と笑いながら先生は言った。
右腕を重いギブスで吊った状態で付き添われて帰宅して、一番年長の一人が母に説明してくれた。
父はその夜帰ってきて話を聞いて怒った。
ギブスを吊っているので仰向けに寝られず、ベッドの端に凭れるように寝ていると、階下から人の足音が聞こえて階段を這うように上がる音がした。
足音は戸の外で止まって、すーっと戸が開いた。
漆黒の顔がこちらを見ている。
ああ、こいつかと思うと、その影は溜息のような息を吐いた。

数日経って帰ってくるなり父が「知り合いの印刷会社に話を付けてきたから、そこへ行けな。どの部署に配属になっても文句言うんじゃないぞ」と言った。
その年の四月から俺は印刷会社の営業として働いた。
それから四、五年して父も母も相次いで亡くなってしまった。
兄弟姉妹のいない俺は家に一人きりとなった。
その後階段を上がってくる足音を聞くことはなかった。

中嶋憲武
1960年生まれ。東京都小平市在住。
現代俳句協会会員。所属は「炎環」「豆の木」「豈」。
2019年 第0句集「祝日たちのために」。
現在、第一句集を準備中。