三都物語─その3【京都】
👤仲寒蟬

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三都物語─その1【大阪】
三都物語─その2【奈良】

高校に入ってまた引越した。
今度は京都府であったが京都市内ではなく宇治市であった。
京都市内に用事があったのは予備校に通うときと社寺を巡るときだけである。
宇治市と言っても平等院のある中心部ではない。
あれは京阪電車の沿線、私の家は近鉄(京都線)沿線の伊勢田という駅が最寄りだった。
駅から家までの道沿いに茶畑があったり少し北に向かって走ると巨椋池干拓地があったりする辺りである。
浪人時代はここから京都御所近くの予備校へ通った。

自分としては京都大学に入るものと決めていたので、どうせ京都で学生生活を嫌というほど味わえると考えて浪人時代の1年間は寺社巡りも殆どせずに一生で一番勉強した。
しかし結局京大に落ちて信州へと都落ちする羽目に。
だから実家が父の転勤で関東へ移るまでの3年間は帰省するたび京都へ通った。

京都は奈良と違って古代のものはほとんど残っていない。
仏像では広隆寺、教王護国寺(東寺)を除けば三千院などに定朝様式の阿弥陀如来像が何体か散在しているくらい。
建築に至っては応仁の乱で洛中がほとんど焼失したため千本釈迦堂以外は醍醐寺五重塔、平等院鳳凰堂など洛外にしかない。
三十三間堂(蓮華王院)の千体千手観音像ですら院政期から鎌倉時代の作である。
私は長らく奈良の古い建築や仏像に親しんできたため古い物こそ素晴らしいと考える傾向があった。
だから京都はずっと物足りない場所であった。

それが変わったのは高校生になってから。
宇治市に住所が移ったこともあって京都をもっと知りたいと思うようになった。
きっかけとしては源氏や平家などの古典に親しむようになったこと、禅宗などの宗教や哲学に興味を持つようになったこと、建築・仏像以外に庭園の美というものに目覚めたこと、茶道に触れて茶碗や茶室のよさが分かってきたこと。
何といっても京都は千年間も都のあった地、文化の蓄積の度合いが奈良や大阪の比ではない。

学会などでは京都を訪れる機会が大阪や奈良と比べて断然多い。
そういう時に訪れる場所が幾つかある。
最近のインバウンドの影響で金閣・銀閣、嵐山、八坂神社、清水寺、伏見稲荷などはいつも人を見に行くようなものだ。
二条城や詩仙堂は修学旅行の人気スポットだし大原や貴船も常に混雑。
哲学の道ですら学生時代を思い出すといわゆる「観光地」のにおいが強くなってきた。

京都にまだ市電が通っていた頃から私が好んで訪れるのはこういう混雑が少ない場所、例えば次のようなところだ。

泉涌寺
皇室との関係が深く天智天皇から昭和天皇までの歴代天皇の位牌が安置されている。
門を入ってから下って行くというアプローチが珍しい。
仏殿と舎利殿という大きな建築が眼下に現れる。
高校生の時、期末テストなどが終わると必ずここへ来た。
樹々が多くて静か。
京都駅から比較的近いのもいい。

蹴上インクライン、琵琶湖疏水から南禅寺
哲学の道の始点。
煉瓦造りのアーチも見どころ。

法然院
哲学の道を山の方に入ると嘘のような静寂に包まれ美しく整えられた庭が待っている。
裏山の墓地には谷崎潤一郎の一風変わった墓がある。

光悦寺
少し遠いが光悦垣で仕切られた広い庭に茶室が点在する落ち着いた雰囲気。
鷹峯がすぐそこに臨まれ光悦が築いた芸術村を思い浮かべるのに丁度いい。
何といっても本阿弥光悦の墓があるので彼のファンにとっては聖地。

金福寺
蕪村の墓がある。
裏山に登ると京都の町が見渡せる。
芭蕉庵もあり俳人にとっては聖地だから行かなければ。
近くにある曼殊院もいい寺だ。

神護寺、高山寺
ここまで行く根性のある観光客は少ないだろうとは思うが紅葉の頃はかなり賑わうらしい。
山道の登りはかなり険しいのでそれなりの覚悟が必要。
寺の宝物も素晴らしいが何といっても自然が素晴らしい。

京都には俳句仲間も多いので今後も事あるごとに訪ねて句会をやる傍ら社寺巡りをしたいものだ。

七月の青垣山の中に京
             寒蟬

仲寒蟬(なかかんせん)
大阪市出身
「牧」「平」代表、「群青」同人
第50回角川俳句賞受賞
第65回芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞

句集に『海市郵便』『巨石文明』『全山落葉』