ガスに包まれて
👤島崎寛永

分厚い雲が空を覆い、海からやってくる霧が街を飲みこむ。
火山灰の織りなす丘陵地帯に、半袖には肌寒い風が吹いてくる。

北海道釧路市。
母の生まれ育った土地だ。
毎年祖父の墓参りのため、私はここを訪れる。

夏の道東地方によく発生する深い霧は海霧といい、夏の季語でもあるが、母はそれを「ガス」と言う。
だいたい「ガス」は午後になると発生し、かつては祖父が2階の窓からそれを見つけると「ガスが来るぞ! 窓を閉めろ!」と言っていたらしい。

釧路は現在、15万人弱が住む市だが、1980年代から人口減少が進んでいる。
釧路駅からほど近い商店街には空きビルが並び、シャッターは落書きだらけ。
大通りを一本外れると途端に人がいなくなる。
母が高校生の頃よく肉まんを買ったという店は、「まんぢゅう」の文字だけがうっすらと残っていた。

墓参りの後は、道東を旅した。
釧路から根釧台地を車で2時間ほど横切って、別海町の野付半島へ。
そこから1時間40分ほどで、弟子屈町の屈斜路湖。
翌日はまた2時間ほど車を走らせ、浜中町の霧多布岬。

このあたりは漁業のほか、畑作や酪農のさかんな地域だ。
一方で、湿原や原野の広がる地域でもある。
道路の外に、人間と産業や生活を感じない、圧倒的な自然が広がる。

平坦で、ときどき起伏。
圧倒的な緑で、ときどき家。
たまに市街地。
遠くにセイコーマートが見えたときの安心感。
エゾシカもキタキツネも、タンチョウヅルもいた。

運よく会わなかったが、ヒグマもいる。
圧倒的な大自然の中に、人間の営みが点在している。

道東に限らず、北海道には、炭鉱や林業、鰊漁などでかつては賑わった街が数知れずある。
時代の流れとともに、それらの産業が衰えると、無論人口も減っていく。
北海道の大自然の中に、ぽつぽつと、人の気配の薄くなっていく場所がある。

祖父は九州に生まれ、思春期に終戦を迎えた。
その後は自衛隊に入り、特別活躍したわけではなかったらしいが、私が小さい頃、一緒に遊んでもらったときの記憶は残っている。
祖父の終の住処であった家は数年前に取り壊したが、その家での記憶、その土地の記憶は、確かにある。
深い「ガス」に包まれた街で、祖父との記憶も、母の思い出も、いくぶん輪郭を帯びて見えてきた気がした。

霧の街

立秋や墓石ときどき樹木葬
フィナンシェを花野に置いて供物とす
人間の営み果てて厚岸草
白斑の子鹿や太平洋に傷
カルデラの淵さらさらと赤蜻蛉
大地よりこぼれて砂嘴に月あかり
流星のこゑ桟橋に流されて
思ひ出を探さずにゆく霧の街

島崎寛永
北海道札幌市生まれ、茨城県在住
「雪華」「ASYL」同人


日常を手渡す
👤千田洋平

最近、「setlog」というアプリをインストールした。
このアプリでは、設定したグループ内で一時間ごとに動画を投稿することができる。
Instagramのストーリーズ機能に近いが、それよりもずっと内輪の空間という感じがする。

setlogで設定したグループのメンバーは、岩手県立水沢高校短詩部の同期たち。
同期たちは、高校を卒業して六年が経った今でも、LINEのメッセージでやり取りしたり、たまにグループで通話したり、一緒に旅行に行ったりと、仲良くしてくれている。
「無理しない程度に、ゆるゆると生存報告的な感じで続けていこう」と決めて始めたsetlogは、思いのほか楽しい。
なにより高校を卒業してからは離れて暮らしていたために、ほとんど見ることのできなかったそれぞれの日常を切り取って共有し合えることが、楽しく、そして嬉しい。
そして、高校在学時から数えて約十年一緒にいる同期たちが、普段どんな世界を見ているのかを、改めて知ることができるのも嬉しい。

日常を切り取って共有するという点で、setlogと俳句には共通するところがある。
俳句は、日常のすべてを描くものではない。
ふと目に留まったもの、心に引っかかったこと、その瞬間に生まれた感情。
そうした一瞬を言葉にする。
十七音という限られた器に日常を切り取り、誰かに手渡す。
句を読むということは、作者が見た一瞬を、ほんの少し分けてもらうことなのかもしれない。
setlogには、朝の電車、昼食、仕事帰りの空、何気ない会話など、わざわざ記録するほどではないような一場面が、次々と流れてくる。
それを見ていると、友人たちの生活が少しだけ身近になる。
自分の知らない場所で、それぞれがそれぞれの日常を生きていることがわかる。

高校時代、私たちは同じ教室にいて、同じ部室で俳句を作っていた。
互いの日常は、いまよりずっと近くにあった。
それから六年が経ち、住む場所も、仕事も、生活の時間も変わった。
それでも、仲間たちとこうして今も、日常の一場面を共有できることが嬉しい。

俳句を作ることは、日常のなかから一瞬を切り取ることだ。
そして、句を読むことは、その人が切り取った世界を少しだけ覗くことだと思う。
setlogで友人たちの日常を覗きながら、私はあらためて、俳句もまた、人と人とをつなぐ、小さな生存報告なのだと思った。
高校時代から続く私たちの関係も、そんな小さな「生存報告」の積み重ねなのだろう。

居場所

日永たとえばレモンカードを濾す網目
春の砂利きらきら非正規のくらし
髪も爪も死んだ細胞今朝の夏
愛猫だからつけない名前レモンティー
ブックエンドに雨粒の影賢治の忌
蔦よわたしにあふれる言葉ごと愛せ 
焼きりんご自傷のように論文書く
ファミレスはウチらの居場所かぼちゃプリン

千田洋平(ちだようへい)
2002年岩手県生まれ
「noi」「むじな」「小熊座」所属
2025年11月、第一句集『分光器越しの夏』を刊行