百五年目の同人誌
👤髙市宏
空海の渡海の土産白牡丹
サングラス寝釈迦のやうに寝るベンチ
郭公の声のころがる耳の奥
万緑の坂柔道部駆け上がる
青梅雨や神官こもる森の宮
流されしがんたら橋や梅雨出水
トマト切る強面の給食調理員
先生のうしろ姿を青蛍
シンバルの出番食みたる雲母虫
七夕や百五年目の同人誌
髙市宏「百五年目の同人誌」10句鑑賞
👤永瀬十悟
▶空海の渡海の土産白牡丹
空海が唐から海を渡って持ち帰った「土産」を、白牡丹と想像した。歴史と想像とが溶け合い、異国の文化や仏法までが、豊麗な花の姿となって眼前に開く。「渡海」の荒々しさと白牡丹の静けさとの対照が、遠大な時空を感じさせる。
▶サングラス寝釈迦のやうに寝るベンチ
サングラスのままベンチに横たわる人物を、入滅した釈迦の姿に見立てた。現代的な小道具と厳かな「寝釈迦」との落差が、笑いを生む。夏のベンチに身を置く姿には、世事から解き放たれた安らぎも感じられ、どこか飄逸な気分が漂う。
▶郭公の声のころがる耳の奥
山野に響く郭公の澄んだ声が、「耳の奥」をころがってゆく。「ころがる」という身体感覚的な表現によって、声が耳の奥深くまで届いてくるようだ。消えるはずの声が体の内に響く。その美しい余韻は、いつまでも心を離れないのだろう。
▶万緑の坂柔道部駆け上がる
濃い緑に覆われた坂を、柔道部員たちが一気に駆け上がってゆく。万緑の旺盛な生命力と、鍛錬する若者の力が響き合う。「坂」が上昇の動きをつくり、「駆け上がる」が勢いをさらに押し出す。緑の中に白い道着まで見えてくる。
▶青梅雨や神官こもる森の宮
降り続く雨に濡れた森の宮。その奥に神官がこもっている。「青梅雨」の湿りとほの暗さが、森と社を一つの聖域として浮かび上がらせる。「こもる」には祈りや奉仕の厳粛さとともに、孤独もにじみ、見えない神官の気配が際立つ。
▶流されしがんたら橋や梅雨出水
眼前の梅雨出水を見つめるうち、かつて流された「がんたら橋」を思い出したのだろう。荒々しい水の流れの中に、橋のあった頃の風景がよみがえる。切字「や」が現在と過去を結び、失われた橋への惜別の思いと土地の記憶がにじむ。
▶トマト切る強面の給食調理員
いかつい調理員が、トマトを黙々と切っている。人を寄せつけぬような風貌と、子どもたちの食事を整える仕事との対照が、温かなユーモアを生む。外見の奥にある実直さと優しさを伝え、給食調理員として働く無頼派の俳人を思わせる。
▶先生のうしろ姿を青蛍
青蛍が、先生のうしろ姿を照らし、あるいは追ってゆく。「を」で止めた余白が、想像を広げている。敬愛する師を見送る場面とも、今は会えない師の面影を追う場面とも読める。青い光の幻想性が、師への思慕を淡く浮かび上がらせる。
▶シンバルの出番食みたる雲母虫
長い演奏の中で、シンバルが鳴るのはほんの一瞬。その譜面に記された「出番」の箇所を、雲母虫が食んでしまったという機知が鮮やか。華々しい音を放つ楽器と、小さな虫との対照も面白く、演奏前の緊張に思いがけない笑いが生まれた。
▶七夕や百五年目の同人誌
創刊から百五年目を迎える同人誌『桔槹』。七夕の悠久の時間と、先人が守り継いだ誌齢とが重なり、節目を祝う心が晴れやかに伝わる。編集長の髙市宏さんの誇りと責任もこもる。過去を受け継ぎ、未来へ願いを託す一句である。