海霧(じり)と夕日の街釧路
👤石川青狼

北海道と一口で言っても広大な面積である。私の現在暮らしている地域は北海道の東部の釧路市。隣りの市である東西の帯広市や根室市までは車で約2時間半。北の北見市や網走市までは約3時間程かかる。札幌市となると高速道路を利用して4時間半である。旅行者は気軽に釧路市内から「摩周湖が見たい」「流氷が見たい」と言われるが、一日がかりとなる。まさに「ほっかいどう」は「でっかいどう」の日本列島の北の果てである。終戦から81年となる今年。8月15日を目前の13日にロシアのプーチン大統領が 「実効支配」する北方領土・択捉島を訪問した。まさに目と鼻の先の地である。元島民の墓参の再開などが遠のく恐れもある。世界中がどこかぎくしゃくしているように感じる。

さて、今回の「ふるさと巡り」は釧路市内の紹介となるが、お許し願いたい。最初に紹介したい「ふるさと」道東釧路の特長的な夏の季節に発生する「海霧(じり)」である。

●海霧(じり)と涼しい避暑地

釧路市中心部の釧路駅から徒歩5分の北海道新聞社釧路支社5階の道新文化センターから釧路川に寄港していた豪華客船を写真に撮った。その10分後には海霧に覆われて見えなくなった。写真はその時撮影したものである。海から霧が流れ込んでくる。その日は7月23日の二十四節気の大暑の日。時刻は13時30分ごろである。翌日の24日から26日にかけては釧路の夏を彩る「第42回くしろ霧フェスティバル」(実行委主催)が釧路川河口近くの幸町緑地・耐震岸壁で始まった。写真には写っていないが豪華客船の左側には釧路川に架かっている幣舞橋(ぬさまいばし)がある。夜には恒例の霧レーザーショーが行われ幻想的な光景を演出。霧の街ならではのイベントである。

海霧に覆われる豪華客船の様子

海霧に覆われる豪華客船の様子>>10分後

釧路地方の夏は、6月ごろから8月にかけて海から這い上がってくる濃い霧「じり」と共にやって来るといっても過言ではない。太平洋高気圧の勢力が高まり、夏型の気圧配置になると、南からの温かく湿った空気が、冷たい千島海流(親潮)に冷やされて霧(移流霧)が発生し釧路地方に流れ込んで来るのだ。

釧路はよく「霧の街」と言われる。俳句歳時記では「霧」は秋の季語であるが、釧路人にとっては夏季の「海霧(じり)」の感覚が強い。また「じり、ガス、かいむ、うみぎり」と4通りの読みがあり、俳人にとってはすこぶる便利な海霧でもある。特に地元では、湿った霧を「じり」、乾いた霧を「ガス」と呼ぶ。「じりが降る」「ガスがかかる」などという。「じり」は霧粒が大きく路面を濡らすが、「ガス」は霧粒が小さく路面を濡らさないのである。「じり」は、半袖で外を歩いていると腕がじっとり濡れ、ねばつくような感じである。また海霧の日が多くなると、気温が上がらず、夏でも長袖のシャツで過ごすことも多く、涼しく過ごせるため、全国から夏の期間には長期滞在者が増えてきている。

それでも近年、真夏日が少し増え、おまけに「2027年問題」として価格が高くなる見込みのクーラーを設置する家も多くなってきている。市内の家電店でもクーラーの展示スペースが大きくなっている。暑さにはめっぽう弱い釧路市民ではある。

ふか鮪血まみれに海霧深くなる
             臼田亜浪
海霧の奥の知人(しりと)岬を指ささる
             加藤楸邨
一人づつ人を裹めり海霧の街
             石原八束
汐騒や裸婦像まとふ夜の海霧
             仙石丈
地の果ての暗く蟹煮る海霧の町
             荒川楓谷

以前NHKスペシャル「幻の霧 摩周湖 神秘の夏」が放映され、太平洋の釧路沖で発生した海霧が沿岸の街や牧草地、釧路湿原を飲み込みながら摩周湖へ辿り着く映像に驚いた。夏の摩周湖でも数回しか見ることのない滝のように流れ落ちる霧の映像は、まさに神秘的な摩周湖の幻の霧であった。

●釧路の地名

「釧路地方の地名を考える会」の会員が地元の釧路新聞に2005年5月から2008年5月まで連載した「ふるさとの地名めぐり 釧路町の地名と歴史」(計70回)を、一冊にまとめた労作の本のページを捲る。第1章の「地名の〝なぜ〟を考えよう」「地名の歴史を振り返ってみよう」「松浦武四郎と地名」「伊能大図の地名解説205年前の測量」など「ふるさと」の地名巡りの一冊である。その中で「釧路の地名の呼び名と漢字表記」の執筆者の一人で現在「地名を考える会」会長を務める柴田哲郎氏の了承を得て、文面を参考に若干記させていただく。

何と言っても「北海道」という呼び名、現在の各支庁及び郡名は、おおよそ松浦武四郎(1818~1888)の意見書に基づき決められたとの事。蝦夷地に足を踏んで以来、6回にわたり調査、探索し、蝦夷地、国後、択捉及び樺太南部の山河を歩き続けたのであるから、驚嘆である。蝦夷地の新しい名称に関する意見書には六つの候補があげられ、結果「北加伊道」の「加伊」を「海」に変えて「北海道」となったようである。そのうち3度釧路を訪れている。「釧路」の「釧」は、1字で「クシロ」と読み、腕輪の古語とのこと。アイヌの人々がテキルンカニという腕輪を手首につける風習があり、その腕輪を古代から本州方面でも使われ、万葉集の中に「伊勢國に幸しし時、京に留まりて柿本朝臣人麻呂の作れる歌」の前書きがあり、「くしろ著く手節の崎に今日もかも大宮人の玉藻刈るらむ」の歌がある。「くしろつく」は(釧をつける手の意から)「たぶし(手節)」にかかる枕詞とある。武四郎の故郷伊勢の国に関わる「くしろ」でもあったのか。釧路と名付ける過程でもどこかロマンを感じる。

また、幣舞橋の「幣舞(ヌサマイ)」とは、アイヌ語で「ヌサ・オ・マイ」(幣場の・ある・ところ)が語源のようで、幣場とは、神を祀るためのイナウ(木幣)を立てて並べ、祭祀などの儀式を行う場所とのこと。

●幣舞橋からの夕日と秋刀魚船

釧路市中心部を流れる釧路川に架かる現在の幣舞橋は5代目。因みに4代目幣舞橋親柱の頭部の一つは、太平洋戦争末期の1945年7月14日から15日にかけて、米軍の空襲を受け、その爆撃で川底に沈められ、5代目の橋の架け替えで30年ぶりに引揚げられ、現在釧路博物館の玄関脇に展示されている。この博物館の設計は釧路出身の建築家・毛綱毅曠(もづなきこう)氏である。釧路市の街の景観を活かした毛綱建築物の作品が多数あり、その造形美を巡ることもお薦めしたい。

釧路市立博物館

引き上げられた幣舞橋親柱

幣舞橋から見る夕日はシーズンを通して市民のみならず観光客のお目当ての絶景ポイントの一つである。幣舞橋とその橋脚上には日本を代表する4人の彫刻家が製作した乙女のブロンズ立像「道東の四季」(「春」船越保武、「夏」佐藤忠良、「秋」柳原義達、「冬」本郷新各氏)が設置されている。また、毛綱氏の設計である釧路フィッシャーマンズワーフMOOを染めながら沈む夕日の釧路を堪能してほしい。四季折々の顔が見られます。

幣舞橋と「夏」の乙女像とMOO

夕日と幣舞橋と「春」の乙女像  撮影:菅原釈子

「春」の乙女像と秋刀魚船とMOO

近年すっかり不漁となり心配されている魚の街釧路の秋刀魚漁のシーズンになると本州からも船団が押し寄せMOOの岸壁は賑わいを見せる。

また冬にはこの釧路川一面を埋め尽くす蓮の葉氷が浮び街の風物詩の一つ。蓮の葉氷は、氷が互いにぶつかり合って縁がまくれ、蓮の葉状になった円形の氷塊。蓮の葉氷も釧路の地貌季語である。次回は釧路湿原を紹介したい。

<参考出典>
北海道・東北ふるさと大歳時記(角川書店)
釧路の語源(釧路市)
ふるさとの地名めぐり(釧路地方の地名を考える会)
新訓 万葉集上巻 佐佐木信綱編(岩波書店)