『現代俳句』2026年8月号
私の一句・百景共吟・薄墨桜より鑑賞
👤杉美春

現代俳句2026年8月号掲載   撮影者:松本幸雄

吾(あ)と無
             筑紫磐井
現代俳句2026年8月号『私の一句』

昨年11月24日、「ゆいの森ホール」にて開催された第50回現代俳句講座「昭和百年 俳句はどこへ向かうのか」と題する講座で、筑紫氏は「二十年後、こんな句を詠/読んでいる」をテーマに〈渾 煌く犠〉を披講し、「渾沌には沌がいらない、犠牲には牲もいらない。どんどん削ぎ落して残るものだけでイメージを作る、これが未来の俳句だ」と自解した。掲句は二十年後を待たずに作られた筑紫氏の未来俳句と言えるだろう。
究極までに削ぎ落された世界では、吾と無だけが残る。音読すれば「あとむ」アトムである。アトムとは原子、科学的に有意義な最小単位のことであり、これ以上分解しようのない世界である。手塚治虫の「鉄腕アトム」を思い出す人も多いだろう。吾という私的で微小な存在と宇宙的な無の世界が対峙する。ここまで削ぎ落とされながらイメージ喚起力を持ち、様々な鑑賞が可能な俳句は見たことがない。掲句の先にはどんな表現が可能なのだろうか。


現代俳句2026年08月号掲載     写真提供:山下聡

カフカの忌ひなたの誰も影もたず
             酒井浩司
現代俳句2026年8月号『百景共吟』

カフカはチェコスロバキア生まれの小説家、実存主義の先駆者で『変身』『審判』などの作品を読んだ人も多いだろう。忌日は6月3日。日本では梅雨入りの頃だが、最近の気候ではすでに夏本番を思わせる暑さである。日光が当たっている場所では影が濃くなるはずなのに、「誰も影もたず」、ただ白々とした光だけが満ちている光景。
明るくも、カフカの世界に通じる不気味な世界である。

夏怒濤目の前にふいに抱きあう
             瀬間陽子
現代俳句2026年8月号『百景共吟』

海を見に来た恋人たちも、荒れ狂う海を前にして「ふいに抱きあう」のだ。それは恋情とも違ったレベルで互いを求め支え合う自然な行為である。逆巻き盛り上がる夏怒濤のエネルギーと破壊力を前に、無力な人間はただ抱き合うしかない。


現代俳句2026年8月号掲載   撮影者:川上眞弓

 

虹が立つだいこんおろしよく利いてる
             大石雄介
現代俳句2026年8月号『薄墨桜』

五・七・六音の破調。虹とだいこんおろしの取り合わせが面白い。雨上がりの朝、外には虹、食卓にはだいこんおろし。儚い虹の美しさとルーティンの取り合わせ。「だいこんおろしよく利いてる」「ちょっと辛すぎない?」「いや、おいしいよ」会話が聞こえてきそうだ。