テクスチャのゆくえ
👤羊洵

今回は、短歌、そして俳句へと波及している、テクスチャ(テクスチャー)について、本文執筆中の2026年7月前半時点までの流れを簡単にご紹介します。

はじめにテクスチャとは短歌において、使われ始めている概念(歌語)です。
『文藝2026年春季号』の歌人瀬戸夏子と青松輝の対談「『短歌ブーム以後』を俯瞰する 私性・テクスチャー・SNSをめぐって」と、それに続いて〈NiEW〉に掲載された、文筆家つやちゃんと歌人瀬口真司の対談「2020年代はテクスチャの時代?」によって普及し始めました。
テクスチャとは「質感」「手触り」を意味する語で、音楽、絵画をはじめ一般的に用いられています。
上述の対談内で、青松と瀬口は短歌用語として創出し進化させています。

一方、テクスチャという歌語自体がどういったものであるかについては曖昧なまま、今日に至っていると筆者には思えます。
この曖昧さは歌壇で反響を呼び、多数の論者が自らの観点からテクスチャの定義を試みています。
テクスチャに対する論者たちの比較的共通した見解として、エフェクターの効果、つまり歌に特殊な手触りを与える、というものです。
実例として以下の歌があります。

シャンプー 僕は自殺をしてきみが2周目を生きるのはどうだろう/青松輝

この歌のように、様々な記号と余白、配置と切断、韻律と散文、意味とコトバ、コノテーションとデノテーションが、補完、対立しあい質感を醸成している、あるいはしていない、とされます。

これらのテクスチャ論の援用を試みる俳人も現れました。
本文執筆時点では、岡田一実が自身のnote記事「『テクスチャー』とは――韻文とは多孔的な文のことである」を発表しています。
岡田は富澤赤黄男の「草二本だけ生えてゐる 時間」から、韻文における文法の「途切れ」が「文法的な穴〔…〕、意味の通り道」になっているとします。
続けて、田中裕明「悉く全集にあり衣被」は、季語の文化的経験によって質感を変える、とします。
さらにチャールズ・テイラーを引用し散文はパラフレーズ可能な「『閉じた文』」、韻文は「語は隣の語へ滲み、〔…〕文化へ滲む。文の内側と外側が絶えず行き来している」とし、岡田はこれらを「【多孔的な文】」と定義します。
そしてテクスチャは「多孔的な文から生まれてくる質感」、「身体や文化や記憶へと開かれている」とし、俳句に援用可能との見解を示します。

以上、テクスチャについての簡単な整理をしました。
今後の俳句におけるテクスチャ論の発展を願ってここまでといたします。
ありがとうございました。

私より

虹を蔦かくして婚が終り葬
あなたは霧をしあはせとせず僕もさう
「それで…」咳、きみ円錐となり睡る
みんなの想像の東京は熊にも見える
彼の子を残し海市へ帰る彼
永き日を名前をもたぬ部屋のみづ
あかるいと思ふ夏の枯野は私より
なにか変はるだらうかタワーから飛び込めば

羊洵(ひつじまこと)
俳句結社「小熊座」「楽園」所属
短歌結社「中部短歌会」所属


浅瀬にたゆたう
👤岡田侑楽

中学から俳句を初めて、はや9年が経とうとしている。
立ち漕ぎの自転車のカゴに歳時記を乗せて、ルーズリーフの端っこに必死に句を書き留めていた日々とは、また違う夏を過ごしている。

特に、高校を卒業後は俳句から、すこし離れて、近付いて、ふらりと離れるような、そんな様子だ。

ドライブ中のクーラーの風が、ハンドル越しにひやりと手に当たるのが心地よい季節になってきた。
久々に帰った実家では、水菓子が桃とスイカになっていた。
木漏れ日の光は強く、葉の輪郭が濃く影を落とす季節になった。俳句から離れようが近付こうが季節は回る。

だが、その季節を見る目もまた、俳句によって培われた財産である。

思えば、海が好きだ、ということに気付かせてくれたのも俳句の力であった。
自分の句を並べてみると、やたらと海と夏の句が多いことに気付く。
海の見える小さな町に生まれた私にとって、海はそこにただ存在するもので、好きも嫌いも無かったのだが。
俳句に登場する海の多さに笑ってしまった。
なんだ、私、海が好きじゃないか。

そうして、職まで決めてしまった。
海の見える場所で働けたらなんでも良かった。

今は、船に関する仕事をしている。
海が好きなんだなぁ、と何となく思っていたら、海へ漕ぎ出るものを作る仕事になろうとは夢にも思わなかった。
真夏のジリジリと焼き付く鋼板の上で、最悪の暑さに悪態を吐きながら、炎天や酷暑といった季語が脳裏をよぎっていく。

中高、そして大学で叩き込まれた季語が生活を彩っている。

またあの頃のように、俳句に浸かる日々が来るかはわからない。
筆の調子が良い時は1日で10句作る日もあるが、俳句の存在をすっかり忘れ呆けて、半年ほどゲーム機に手を伸ばすこともある。
知らない街の知らない景色をスワイプして、時間を消費したり。
それでも、つかず離れず。
ほどよい距離で、永く句を詠めたら良いと、そう願っている。

白い砂浜から

春泥をさらい錨の巻き上がる
船底に張りつきあっている栄螺
春海にドット絵のごとコンテナ船
そんなにはいらないほうれん草多い
白桃の凹みや祖母の指の腹
ラムネのむ食道におのおのの浮力
保護メガネ外せば夏の青が濃い
日々に詩が消えても夏海は綺麗

岡田侑楽(おかだゆら)
2003年愛媛県生まれ
「浮遊」所属
部屋に酒と石コレクションが並んでいる