山彦の帰って来ない雪景色 河村正浩  評者: 加藤光樹

 しんしんと雪が降り積んだ翌朝、都会でも全ての音が吸い込まれたような静けさを感じることがある。それが山々に囲まれた山村なら一層その感を強くするだろう。都会の静かな雪の朝の景と山間の雪景色を頭の中で重ねてみると、成る程こうなるかと思われる。
 「山彦」が作者の叫び声とすれば単純な写生句とも読めるが、この「山彦」には様々な想いが込められているようだ。雪景色は美しい風景ではあるが、同時に厳しさも隠されている。降雪地では吹雪や雪崩による災害のみでなく日常の暮らしでもさまざまな対策を強いられる。
 反響させずに音を吸い込んでしまう新雪の柔らかさは科学的にも説明のつくことだし、美しい風景ではあるがそこに並大抵ではない人間の心理の一面が詠み込まれているように思う。「山彦」は肉親の声かも知れないし、異界に去って呼びかけても返事の返って来ない旧友の声かも知れない。「返って」来てこその「山彦」を「帰って来ない」と擬人化したことに作者の意図が見える。「山彦」が単なる音ではなく、その声を発した人の心をも表現しており、一つの文字遣いにも配慮した一句と思う。
 同じ句集に「鈴の音に入って行きし枯野原」という句があり、この「に」の一見誤用かと思わせるような意味合いと大小逆転の発想には作品の深みが感じられる。ここに挙げた二句には常識をちょっと外しながら、情感の広がりを確実に読み手に伝えるものがあり、その表現力に魅せられる。

出典:『何時しか』(平成十八年七月刊)

評者: 加藤光樹
平成21年10月11日