生涯の影ある秋の天地かな 長谷川かな女 評者: 網野月を

 「それまでの苦難を乗り越え、新天地・浦和を愛し、ここを生涯の地と決めたという、秋の日のしみじみとした気持ちを詠んだ俳句である。」とこの句を刻んだ句碑(さいたま市浦和区岸町三丁目、調神社境内)の説明文にある。かな女の句は、具象の明確な句が多いのであるが、この句は観念的な語彙を用いて作句されている。それだけに句柄は大きいのだが、かな女の個人史を理解しなければ、なかなかに近寄れない句である。
 かな女が浦和に転居したのは『水明』を創刊する二年前の昭和三年であった。かな女が四十一歳の時である。掲句は昭和三十年刊の第三句集『胡笛』の「生涯の影」(昭和二十五年)の内に収められている。転居以後、実に二十年余の歳月が経っている。大戦から少しずつ復興の兆しが見え始めたころの作であろうか。とすれば、殊更に浦和の土地柄を詠んだ句と言う訳でもないであろう。というよりも浦和に限定しない方が、句の大きさが際立つように思われるのだ。
 句碑の「秋」の文字は、偏と旁が左右逆で火偏に禾旁である。自筆から起こして刻んであるようなので、作品としてはこちらが正字である。
 平成二十五年十一月、東京四季出版より『長谷川かな女全集』が出版された。この全集には収められていないのだが、筆者の手元に「水母ばかり掬う手拭ながして仕舞ふ」というかな女直筆の短冊がある。つい二か月前に譲って頂いたものだ。全集が編まれた後になっても遺稿が出現するのは偉大な証左であろうか。
 かな女は昭和四十四年に亡くなるまで浦和の地に住まいし続けた。享年八十一歳であった。

出典:『長谷川かな女全集』、東京四季出版、2013年刊。

評者: 網野月を
平成27年12月1日