狐火があるから行ける外厠 栗田希代子 評者: 松田ひろむ

作者には「百歳の笑まいいただく冬遍路」「石仏のほかは枯れ伏す野と なりぬ 」の句があるように、四国のお遍路は何回となく巡礼している。現代のお遍路は信仰というよりも、癒し、自分探しの旅となっているようだ。それにしても作者は一九三九年生れ、そのパワーには驚くばかりである。この他、日本百名山もすべて登頂して『句集日本百名山』(東京四季出版)もある。
 そんな行動派であるが、掲句に見られるように、民俗的なものへの思い入れが深いようだ。
 かつて厠は母屋から離れたところにあった。夜は電灯も付いていない。あるいはあっても暗かった。そんな厠に行くのは、子供でなくても怖かった。しかし句は「狐火があるから」という。狐火も怖いもの。そんな狐火と外厠は、怖いものづくしであろうか。それを肯定する作者は、いかにも北海道育ちのしたたかさである。
 狐火は季語としては冬であるが、その実体は明らかではない。
 平凡社『世界大百科事典』 をひくと、
 きつねび【狐火】
 キツネがともすとされる淡紅色の怪火。単独で光るものもあるが、多くは〈狐の提灯行列〉とか〈狐の嫁入り〉とよばれるもので、数多くの灯火が点滅しながら横に連なって行進する。(中略)江戸の王子稲荷の大エノキの元には毎年大晦日に関八州のキツネが集まって狐火をともしたといわれ,その火で翌年の吉凶を占う風もあった。狐火がよく見られるというのは、薄暮や暗くなる間際のいわゆるたそがれどきとか翌日が雨になりそうな天候の変り目に当たるときであり、出現する場所も川の対岸、山と平野の境目、村境や町はずれといった場所で、キツネに化かされる場所とも一致するようである。
とある。謎の発光体である。ところで、狐火(鬼火)は、俳人の想像をかきたてる。
 蕪村以来多くの句があって、狐火のイメージはこうした句によっても膨らんでくる。
   狐火や髑髏に雨のたまる夜に       蕪村
   鳴ながら狐火ともす寒かな        太祇
   狐火を信じ男を信ぜざる       富安風生
   狐火にうすき足裏をたのみけり    飯島晴子
   太郎に見えて次郎に見えぬ狐火や  上田五千石
   螢火の一つは鬼火高舞へる      手塚美佐
   狐火や蕪村の恋もとはの闇      矢島渚男
 こうした古今の狐火の句に、栗田希代子の句を加えても決して遜色はない。
 ちなみに作者は、「道」主宰であった北光星(一九二三-二〇〇一)の義妹である。

(出典=二〇一五年二月一日、松田ひろむ俳句研究会作品)

評者: 松田ひろむ
平成28年12月17日