蛍火の奥は乳房のひしめくや 橋閒石 評者: 加藤知子

 半年程前のこと、明治36年(1903)生まれの橋閒石の句集『虚』が期せずして手に入った。というより、この句集の発行所である現代俳句協会に取り置かれていたものが安価で放出されたので、飛びついたのである。しかも、サイン入り。細めでサッパリした穏やかな字である。私の句歴は長いほうではないが、橋閒石は気になる俳人であった
 掲句は、第五句集『荒栲』(昭和46年刊)から、厳選されて『虚』に収載されたものという。暗闇の水辺。蛍火の群れを見ている。ずうっと見つめていたら、蛍火に照らされた乳房のひしめきが見えてきたのである。分かりやすい句である。そして、底なし沼のような句でもある。それは、蛍の匂いと共に性衝動の発露を伴っているようで、かつ乳房の艶めかしさを通り越して、異様ともいえる光景が広がっているようで。
 「ひしめくや」というフックにすっかり引っ掛かってしまう。やはり乳房は二つまでだろう。うじょうじょと乳房が、ユーモラスにシュールに動いているさまを想像してみたら如何。そして、頭の中で自分で絵も描いてみたら如何。シュールな俳句も絵も大好きなのだが、或る意味おかしくて楽しくて仕方なくなる。
 そのうち徐々に、蛍火の奥には、いつかしらの古代の母系社会へ通じる溝口がじわーと開いてきて、古代から延々と繋がっている我々の魂の遊び場、命の溜まり場のような何かがぼんやりと見えてくるから不思議。異界めいた根源的な生の場所にたどり着くかのよう。
 更に思うにこの句は、儚きものの象徴を旺盛な生命力の象徴に転換させているようだ。作者の死生観の現れを観ることも出来よう。恋の衝動と母性、肉体と霊魂、古代と現代、此岸と彼岸など切れていそうで繋がっている、多様な視点がこの句に深みと底なし感を与えている。
 「実」から入って、正に集名の通りの「虚」の世界に遊ばせて頂いた。このように、時代を超えた一句に対して、自由な想像にまかせた鑑賞をし、そこに遊ぶのも、俳句の楽しみ方の一つであろう。

出典:現代俳句の100冊[35]『虚』橋閒石著、昭和60年

評者: 加藤知子
平成29年9月1日