はらわたの熱きを恃み鳥渡る 宮坂静生 評者: 齊藤泥雪

 静生の主宰誌の標榜は「地貌とからだ感覚を通してうたう」というものである。本句では地貌はともかく、からだ感覚の方は標榜どおりと言えるだろう。はらわた(腸)は俳句にときおり登場するが、人間および魚の場合が多い。古くは「櫓の声波をうって腸氷る夜やなみだ 芭蕉」や「錆び鮎のはらわたを喰み顔昏るる 細見綾子」などである。鳥の、しかも飛んでいる状態での詠われ方は少ない。わずかに「腸の先づ古び行く揚雲雀 耕衣」があり、もしかしたら本句のヒントになっていたかも知れない。
 静生は『俳句からだ感覚』で鬼房を取り上げた際に「芭蕉似は弱きはらわた冬紅葉」などを評して「<はらわた>などとからだの内蔵を即物的に詠う云々」と述べている。俳句の即物具象論はかなり以前から叫ばれているが、「からだ感覚」はその言い換えと見れば分りやすいように思われる。人間に限らず、鳥獣から魚介に至るまで、その諸器官は単なる構成単位の名称という即物性に留まらない。「腰を据える。腹を決める。目頭が熱くなる」などのように、象徴性があるだけに即物具象的な俳句表現にはもっとも適している言葉(名詞)であると思う。
 それにしても「はらわたの熱きを恃み」とはよくぞ言ってくれたものだ。「下腹に力を入れる。臍下丹田」はいわば「はらわた」の辺りである。人間の腹巻はその冷えを防ぐための健康法な訳で「腸は熱い」に越したことはない。
 本句は心も体も熱く力強い渡り鳥を指している。その意味では意外なほど明るく健康的な一句と読み取れるのである。 
2013年3月8日現代俳句データベースコラムに掲載されたものです。
評者: 齊藤泥雪
平成31年3月18日