雪明り一切経を蔵したる 高野素十 評者: 小宅容義

 高野素十は、ホトトギスの黄金時代を創った四S(秋桜子・誓子・青畝・素十)の一角を担った虚子の高弟。その中で、客観写生を生涯のテーゼとして追求した希有の一人である。即ち、主観的方法を極力排除し、単純化した即物的表現に徹した。それ故、詠嘆的でなく、抒情的でなく、境涯的でない。そこに近代における新しい方法としての工夫があったし、支持された要因があったと思う。
 掲句は、客観写生を徹底してゆくとその中から、逆に主情的な匂いが浮かび上って余ると言われたものの一つ。渺々たる世界である。
 その起因を「明り」・「蔵し」の極限的表現に見ることが出来ると思う。凝視の果てに到達した境地である。
 
評者: 小宅容義
平成16年4月5日