真夏日の指鉄砲に敵機なし 佐藤晏行  評者: 村井和一

 第2次世界大戦の太平洋戦争で、日本がアメリカに無条件降伏をしたのは、昭和20年の暑い夏の8月中旬であった。
 その数日前まで日本の各都市は米軍の爆撃機B29が落す焼夷弾の空襲にさらされていた。B29の機影を照らすサーチライト。高射砲を撃つが高空のB29には届かなかった。
 「指鉄砲」は、握り拳の人差し指だけを立てて相手に向けて脅す遊びだが、輪ゴムでもはめて撃てば、多少は相手に対する攻撃力にもなるが、指鉄砲だけでは脅威にもならないだろう。
 戦時中の少年たちは、真剣に本土決戦に備えるつもりでいた。
 「指鉄砲」のような微力な攻撃力でも役立てようとした当時の少年たちの心情だったということだろう。
 
評者: 村井和一
平成20年10月7日