蟋蟀に似て来し母の語り口 さいとう白砂 評者: 阿部完市

 蟋蟀・こおろぎが、静かにまたにぎやかに鳴きはじめる秋口。謡曲「松虫」―秋の虫たちの、口を揃えての鳴き声のありさまを、古の機織りの音にひきくらべながら、<きりはたりちょう つづりさせちょう きりぎりす蜩(ひぐらし) 色々のいろ音の中に わきて我がしのぶ松虫の声のりんりんりんとして 夜の声冥々たり……>と、謡いはじめ謡いつづける。
 その色々のなかに、こおろぎの声がまじる。あのこおろぎの声は、母さんの声、母さんのあのお喋りの声なのだ、と作者はふと思う。ぽつん、ぽつんと秋の夜の静けさにいかにもよく似合って、母は喋る。語る。その母さんの語り口に似て、こおろぎの声。つやつやの、あの黒褐色の体。そして、その長い後肢をふと構えて、秋草の只中に、しんしんと棲んでいる。時に、そっと鳴いてみせている―そんなこおろぎ。
 鳴き出して、澄んだその声は、やはり母さんの声、母さんの語り口、そのままだ。もう、そんな母も、年老いて……。秋のある一夜。
 遠くに、そっと鳴きはじめて、そしてまたふと近くと私に向って鳴きつづけてみせる、雄蟋蟀の声。
 また、こんなこおろぎは、時に大きく大きく、秋の野にぴょーんと跳ねてみせたりする。古くは「きりぎりす」あるいは秋鳴く虫の総称であった、と言われる、そんな蟋蟀・こおろぎ。
 万葉集、巻十に、<影草(かげくさ)の生ひたる屋外(やど)の暮陰(ゆうかげ)に鳴くこほろぎは聞けど飽かぬかも>の一首などもある。
 
評者: 阿部完市
平成20年12月21日