核の冬ひとでの海は病みにけり 高屋窓秋  評者: 谷山花猿

 高屋窓秋は寡作で、しかも断続的にしか句を作らず、ひとたび句作に入れば連作あるいは群作的に纏めて発表するという特異な造り方をするというので有名である。掲出の句の『朝日文庫』に作品が収録されることになり、一九八四年になかば強制されて作った「星月夜」一四一句のなかの一句である。
 窓秋は、一九三二年作の<頭の中で白い夏野となってゐる>の句が注目され、草創期の『馬酔木』で、石橋辰之助・石田波郷とともに三羽烏として活躍したが、新興俳句の展開とともに『馬酔木』を去り、一九三八年には旧満州新京の放送局へ移った。戦後、引揚げてきて新発足のTBS社員となったが、句作の間欠性は変わらなかった。そのような特異な句作を続けている窓秋が「星月夜」でつかんだテーマのひとつが「核の冬」であった。
 一九八〇年代は、米ソ冷戦の最終段階で両大国の核兵器数は人類を百回ほど皆殺しにしても余るとさえいわれていた。そしてひとたび核戦争に突入すれば人間を含む動植物のほとんどが死滅し、地球は死の灰に覆われて、気温が極端に低下し、冬のようになる、と論ぜられた。この「核の冬」は世界の人々を核兵器廃絶の運動に立ち上がらせることとなった。窓秋の掲出句はこの当時の動きを反映しており、彼にしては数少ない時事性を持った句である。この句では<ひとでの海は病み>としたところが、辛うじて単なる時事性を脱却させているといえる。「星月夜」は全体として死のイメージの句が多いが、窓秋自身が晩年を意識し始めたからではなかったか。この句を書いたのち、窓秋はなお十五年は生きるのではあるが……。

出典:『富澤赤黄男 高屋窓秋 渡邊白泉集』朝日文庫より

評者: 谷山花猿
平成21年10月1日