猪がきて空気を食べる春の峠 金子兜太  評者: 渡辺誠一郎

 大分前のことだが、秩父に足を運んだことがあった。武甲山を眺め、秩父神社に詣でた。秩父へ向かう列車に揺られながら、山並が遠くまで続く風景のなかに、ふとこの句の情景が思い浮かんだ。山並の稜線に猪の幻影を見たような気がした。
 秩父は古くから多くの猪が生息する地である。日本武尊が東征した時に、猪を退治した故事にちなんだ猪狩神社がある。今も猪の肉は珍重され、牡丹鍋が秩父の名物である。
 この句の猪の立つ峠には、春の気持ちの良い風が吹いている。兜太はアニミズムの世界に共感し、「生きもの感覚」を俳句の力とした。空気を食べるとは、まさに秩父という産土のエネルギーを体内にたらふく溜め込むかのようである。
 兜太は〈おおかみに螢が一つ付いていた〉など、狼の句を数多く詠んでいる。しかし日本狼は絶滅したが、猪は日常的に身近な存在であった。兜太には、土の臭いのする猪の方が良く似合っている。その意味で、この峠に立つ猪の存在は、兜太自身の姿とも重なってくる。俳句の世界において、社会性俳句・前衛俳句、そして反戦の活動と、亡くなるまでエネルギッシュに生きた兜太の存在は、まさに猪突猛進の猪の姿そのものであった。風貌やその振舞いからも、兜太は猪族であったのだ。
 この句のように、兜太が秩父の空気をたらふく食べて、俳句の世界への繰り出して来たように想像してみるのも可笑しくも楽しい。
 
※『現代俳句』2018年7月号金子兜太追悼特集「忘れ得ぬ一句鑑賞」より
評者: 渡辺誠一郎
平成31年1月10日