はらわたに昼顔ひらく故郷かな 橋 閒石 評者: 長峰竹芳 

 句集「和栲」で第十八回(昭和五十九年)蛇笏賞を受賞した。森澄雄が推薦し、山本健吉、飯田龍太が即座に同意したという経緯がある。ほとんどの選考委員に面識がなかったという予想外の受賞で、俳壇の耳目を集めた。
 英文学者だが、俳諧文学の研究や連句の実作・指導に努め、自ら「英文学と俳諧の表裏一体の生涯」を自認した。俳句の世界もさまざまな試みがされているが、源流の「俳」に根を据えた作品の見直しも大事ではないかと思う。
 昭和六十年頃までの閒石の作品二千四百二十五句に目を通した中村苑子は、「初めから終りまで、全部、橋閒石であり、一句として閒石ならざる作品は見あたらなかった」と驚嘆している。
 掲句、故郷の昼顔が「はらわたの中に咲いた」という比喩だが、読み手に与える詩情は深い。故郷という原景にひらく昼顔のいささか物憂げな表情が、肉体の中に立ちこもっている。
  きさらぎの手の鳴る方や落椿
  日輪を呑みたる蟇の動きけり
  乾鮭をさげて西方無辺なり
  足の向く方は素描の春の水
 どの句も発想が自在で奥行が深い。一句一句、作者の体内を潜って浄化され、ひろびろとした情感が漂う。
 これらの閒石の作品を、飯田龍太は「俳諧を手づかみにしている」と評し、山本健吉は「古俳諧に遊んだ痕跡が漂い、句の味わいに色をつけている」と分析した。

出典:『和栲』
評者: 長峰竹芳
平成22年10月1日