髭白きまで山を攀ぢ何を得し 福田蓼汀 評者: 亀田蒼石

 山に魅せられた人が私の近所にいた。でも別にヒマラヤを目指そうとしたわけでもなく登山の記録を作った訳でもない。ただ無性に山が好きだったのである。家庭は裕福ではなく生い立ちはそれなりに複雑であった。わずかな水田と臨時雇などで生計をたて山を目指した。頭脳明晰なうえ能筆家でもあったが、自分を主張する人ではない飄然と山へ出かけて何日も帰ってこないそんな人であった。
 稀に私も同行する様になる。山は楽しかった。でも私には彼ほどのめり込む胆力がなく次第に彼と疎遠になっていく。
 蓼汀のこの句に出会うたび彼を思い出す。山は魔性を持っている。下山の際後ろ髪を引かれるようなあの気持、自分だけが好きなことをして家人を心配させている後ろめたさ、帰ればすぐに次の山からの誘惑。髭白きまで山を攀じ、人生に得たものは充分にあるのだと思いながらもはっきり答えられないもどかしさ、この句はそんな気持をも滲ませている。
 昭和四十四年の夏、蓼汀の身に突然の不幸が訪れる。次男の善明が奥黒部で遭難したのである。父の山好きを見て育った息子の若くていたましい訃報であった。息子を失った蓼汀の痛恨は計り知れない。蓼汀の句には家族の句が多い、それがまた人々の胸をえぐるのである。            
  秋雲一片遺されし父何を為さん 『秋風挽歌』
  山下りてすぐ山を恋ふ十三夜  『秋風挽歌』
  円虹の中に吾が影手振れば振る 『山火』
  福寿草家族のごとくかたまれり   『山火』
  秋風や頂割れし燧岳        『暁光』

出典:『源流』
 評者: 亀田蒼石
平成23年10月1日