しわくちゃの離婚届よ冬芒 林 誠司 評者: 佐藤文子

 誰かが言っていた。結婚するより離婚をする方がどれだけエネルギーがいるかと。
 この句の<離婚届>がしわくちゃだという。おそらく作者は離婚届を書いたものの、どこかに仕舞いこんでいたのではないだろうか。今日出そう、今日出そうと思いつつ、時間は過ぎて行くばかり。もしかして離婚はやめようと思ったかもしれない。だが、相手は思い切りよくサインをした。子どもは、どうするのだ。幼ければ親権は母親に行く。妻は他人となっても、子どもは親族だ。子は鎹と、確かに思った時期もあった。が、やはり別れることにしたのだ。
 ポケットにでも突っ込んでいたのだろうか、そっと出した離婚届けはしわくちゃ。
 今さら、離婚の原因を追及する気持ちもない。ただ、縁が無かっただけだ。
  夏帽の子らを映して忘れ潮
  夕日いま忘れられたる手袋に
  子と離れ住み夕焼けの鬼子母神
男の哀しみと寂しさがあふれる俳句の数々。縁がなかったと自分に言い聞かせながら、
  子をおもへばまつすぐあがる焚火の火
と、詠まずにはおれない。
  父の日の風のネクタイ締めてをり
一時期、作者は父を失い、仕事も失い、離婚もし、何か、もうどうでもいいような怠惰な暮らしに浸っていた。
 別れた子どもたちは大学生と高校生だという。今は、とりあえず前を向いて生きていると、作者は述べている。
 私は思う。俳句がそばにあってよかったのではないかと。
  朝空のすでにおほぞら花辛夷
  花吹雪天にも風のつもりをり
これらの句を読み、作者の周りもいくらか光りはじめたのではないかしら、希望の星が輝きはじめたのではないかしらと思った。

出典:『退屈王』(文学の森刊・2011年)
 評者: 佐藤文子
平成24年10月23日