むらさきに犀は烟りて大暑なり 中村和弘 評者: 柳生正名

 第3句集「東海」より。2010年の作を集めた「気流」の章に収められている。
 同集には
   馬の背に朝鮮半島灼けており
   舟虫の熱もつ岩を祀りおり
など、盛夏それも炎天下で詠まれたとおぼしきものに特に印象的な作が多い。夏の直射日光の下に身を置くことは、一定の年齢を超えると、それだけで体力、気力を消耗しがちだ。そのせいか、句作しても、発想が類型的なものになりやすい感がある。にもかかわらず、これだけ多様かつ力感みなぎる句をそろえたということは、作り手の創作意欲の横溢ぶりを示すと言うべきだ。
 野生の犀を間近で見る機会はそうあるものではない。作者の場合、チベットからハワイまで世界各地を飛び回ってはいるが、ここは動物園の景ととらえておくのが無難だろう。犀舎には大抵、池がある。もともと湿地帯に生息し、泥遊びが好きなたちである。皮膚は非常に厚く、甲冑を思わせる硬さというが、それでも暑さ対策と虫刺されなどから身を守るため、時に泥の上を転げ回るのだ。
 やがて立ち上がったとき、皮膚についた泥は大暑の日に炙られ、次第に陽炎うごとく、ゆらゆら湯気を立て始めるにちがいない。あたかも、狭い犀舎に閉じ込められ、立ったまま眠っているように見える、この巨大な動物がきっと夢見ているに違いない故郷アフリカ―その遙かに陽炎い、ゆらぐ地平線のように。
 泥に覆われた巨体は今、強烈な逆光の中にある。その色彩を黒でも灰でもなく、紫ととらえたことが、さらに1句に内面的な奥行きを与えた。高貴さを象徴する色が、この見掛けこそ鈍重な動物の上に、貴種流離譚の主人公さながらの陰影を産み落す。そして、野生のもつ犯すべからざる尊厳を踏みにじり、あまつさえ柵の内に閉じ込める人間の愚かしさを浮き彫りにしていくようだ。
 
出典:『東海』
評者: 柳生正名
平成25年9月21日