流れ行く大根の葉の早さかな 高濱虚子 評者: 國定義明

 国語の教員だったせいか、俳句大会の選句の前の校正の役を毎年のように依頼される。最近揉めたものの一つに「扇風機(器)」がある。電気機器には一般的に「機」と付すが、小中学生の部で「私にはふり向かないね扇風()」を入選にするかどうかで、選者A氏は「玩具か、擬人法かも知れない」とすれば納得できるという。そして後日、『図説俳句大歳時記』(角川書店 昭和48)の扇風機(三)の例句

  扇風器大き翼をやすめたり  山口誓子
  吹く空しさ煽風器吹く卵の山 中村草田男
  もの思ふごと煽風器休めるは 石塚友二
ほか、『日本国語大辞典』(小学館)や『新日本大歳時記』(講談社)の用例コピーを郵送してきた。とにかく「扇風()」と是としたいのだ。小中学生の段階でそこまで深くは考えないだろうというのが私の考え、教科書どおりである。
(注)協会や各県で「校正要領(基準)」は既にできているのだろうか。
 さて、冒頭の虚子の句。昭和3年作で山本健吉氏は「よく焦点を絞られた写生句で、ホトトギス流の写生句の代表作」と評している。一方北川透氏は「一体この句のどこがありのままで、どこが写生なのか」「写生の意識に逆らって、極度に言葉を選択し省略したもの」と述べ、「大根の葉だけがクローズ(close)アップ(up)される」(『詩的レトリック入門』平成5年)。
 この句は昭和3年11月、九品仏(くほんぶつ)への吟行の作で虚子は自句自解で次のように述べている。
「フトある小川に出で、橋上に佇むでその水を見ると、大根の葉が非常な早さで流れてゐる。(これ)を見た瞬間に今までたまりにたまつて来た感興がはじめて焦点を得て句になつたのである。その瞬間の心の状態を云へば、他に何物もなく、ただ水に流れて行く大根の葉の非常な早さといふことのみがあつたのである。」
〔ポイント〕
 問題はこの代表作の場合、「早さ」よりも「速さ」のほうが、自解からも似つかわしいのではないかという点。「早い」はある基準より時期が前、英語でearlyに対し、「速い」は物事の進む度合いが大きいこと、進行がすみやかなこと、英語でfastである。その時期も速度も両方はやいときは俳句では仮名書きにして“はやさかな”とすべきであろう。
 この違いの用例を見るに、「早さ」の場合(例)早出、早寝、早春、早咲き、早引き等、「速さ」の場合(例)早瀬、早口、早太鼓等。
◎「速さ」の特例として、「疾い」「捷い」が用いられる。「自句自解」を初めて知って最短詩型の俳句は一言一句も慎重に忽せにはできないものと肝に銘じます。
 
評者: 國定義明
平成25年11月21日