地震あとの春待つ顔を上げにけり 桂 信子 評者: 吉田成子

 「阪神淡路大震災」後まもない頃の作品である。この地震は当時大阪北部の箕面に住んでいた桂信子に少なからず被害をもたらした。揺れが治まってすぐに安否を尋ねる電話をしたところ「大丈夫です」と意外なほど落着いた返事が返ってきたのを覚えている。しかしあとで聞くと家の中は足の踏み場もないほどだったようだ。独り住まいの信子はこのとき80歳、恐怖やショックは大きかった筈だ。
   寒暁や生きてゐし声身を出づる
   地震あとの高声寒の闇走る
 この2句は地震直後の様子が特にリアルに伝わる作品であるが、地震以後の日々の心境を映す作品も数々残している。掲出句もその一つで、生活環境がなかなか元に戻らないなかで、せめて暖かい春が早く来てほしいという気持が偲べるのだ。あの頃関西に住んでいた人は余り被害を受けなかった人でも、何をするにも意識の中に地震がつきまとった。余震も度々で落着きのない日々を過していた。被害の大きかった人は尚更である。ライフラインなどの復旧もなかなか進まず、元の暮らしを早く取り戻したいがどうしようもない。そういういらだちの中で過した人が多かったと思う。「春待つ顔」は天に身を委ねるような気持で春を待っている。当時の被災者の気持を象徴するような作品である。
 この地震は比較的復興が早かったが「東日本大震災」は未だに遅々として進まず、被災者にとって元の生活は遠い。そんな被災者の情況をテレビや新聞の報道で知るたびにこの句が頭に浮かぶ。
 
出典:句集『花影』
評者: 吉田成子
平成25年12月1日