毬つけば男しづかに倒れけり 吉村毬子 評者: 武田伸一

 毬子を俳号とする、吉村さんの処女句集『手毬唄』の一句である。一々数えてはいないが、「毬」あるいは「手毬唄」の句は、十指に余るはずである。「毬」に対する吉村さんの拘りは何か、いささか興味のあるところではあるが、今はそれを探る暇はない。「著者略歴」によれば、1990年池袋西武コミュニティ・カレッジ「中村苑子・現代俳句教室」を受講、俳句を始めたという。いわば中村苑子最晩年の弟子と言ってもよかろう。
 掲句は、「毬」という実体があって無きかのような措辞に対峙させて、予め予定していないところから立ち上がる詩というか、無意識の中に潜んでいる形状としては表しにくいもの。表面的には、毬をつく者に対して男が静かに倒れた、というまことに単純明快な表現ではあるが、単にそれだけではないこと、私がいうまでもない。一見明快ではあるが、然に非ず。言葉の斡旋の仕方が、従来の俳句表現とは根本的に違うのだ。天性の感覚の新しさ、作者独自の個性と言ってもいい、言語感覚の新しさに拍手を送りたい。
 
  毬の中で土の嗚咽を聴いてゐた
 
 この句も掲句と同根の範疇にある。切れがなく、散文の一行のように見えながら、具象的な表現が一句を際立たせていること、紛れもなく俳句そのものである。
 詳述するスペースはないが、現代俳句協会は、ここに同人誌「LOTUS」の若く新しい有能な作家を得たと言っても過言ではなかろう。次への進展を期待するところ大である。
 
出典:『手毬唄』平成26年7月24日 株式会社文學の森
評者: 武田伸一
平成26年9月21日