しづかなる力満ちゆき螇蚸とぶ 加藤楸邨 評者: 江中真弓

 人の気配を感じてか、草むらにじっと動かない螇蚸がいる。こちらも動かずに息をひそめ目を凝らしている。動かないのは力が抜けているのではなく、全身に力を漲らせているのだ。と、次の瞬間、螇蚸は勢いよく跳躍、飛翔したのだった。昆虫の思いがけない力強い飛翔に、作者は心を打たれたのではなかったろうか。内への充実と外への飛躍、静と動の鮮やかな対比が螇蚸の命の輝きを捉えている。
 楸邨は戦後の過労から病臥を余儀なくされたが、この句は長かった病臥の回復期、ようやく歩けるようになった庭で詠まれたものだという。心身に力を蓄えつつ時を待つ充足感、病苦を克服した喜びが、対象との感合浸透によってみごとに表現されている。螇蚸は楸邨そのもの、秋の日に羽を光らせながら、遠く高く飛んだことであろう。昭和二十六年、楸邨四十六歳の作である。平凡なようで、誰の心にも訴えるものを持つ秀句と言えよう。
 この句の螇蚸は「ばった」と読まれることが多いが、楸邨自身は、古称の「はたはた」と読んでいた。羽音を思わせるやわらかな音のひびき、螇蚸の飛ぶ空間のひろがりと時間の持続、視覚的なうつくしさは、「はたはた」と読んでこそと私は思っている。
 行き詰まった、苦しいとき、いつでも私の胸にはこの句が浮かぶ。こころの中で反芻していると不思議に落ち着き、力を溜めてしずかに耐えていれば、必ず次への道が開けるはず、と思えてくるのだ。理屈なしで直に心ひびき、励まされ、勇気づけられるのが楸邨俳句の大きな魅力。生き方そのものをも指し示してくれる。
 
出典:句集『山脈』
評者: 江中真弓
平成26年11月11日